3/28/2026

ソニー 20mm F2.8(SEL20F28)の、あの小さな違和感について


   久しぶりにカメラの話を。
ずっと使っているE 20mm F2.8(SEL20F28)。
薄くて軽くて、ポケットに近い感覚で持ち出せるレンズだ。

α6700に付けると、
それだけで、どこかへ歩き出したくなる。

この組み合わせには、だいたい満足している。
ただ、ひとつだけ、どうしても気になるところがあった。

ほんのわずかな、引っかかりのようなもの。

フィルターを付ける。
ごく普通の保護フィルターだ。

その上から純正のフードを付けようとすると、
最後のところで止まる。

カツッと、小さな音がする。

閉まりきらない。
ほんの少しだけ浮く。

たったそれだけのことなのに、
そのわずかな隙間が、どうにも落ち着かない。

気にしなければいいのかもしれない。
実際、写真には関係ない。

でも、こういうほんの少しのズレは、
使っているあいだ、ずっと残り続ける。

削る人もいるらしい。
フードの内側を、少しだけ。

あるいは、最初からフィルターを外してしまう人もいる。

どちらも正しい気はするけれど、
どこかで、それじゃないと思っていた。

できれば、何も無理をしないまま、
ちゃんと収まってほしい。

ただ、それだけの話なのに。

レンズ前にフィルターを付けないまま、
フードだけというのも、どうにも落ち着かない。

少し神経質な性分なのだと思う。
生のレンズのままでは、どこか不安が残る。

かといって、収まりきらないフィルターを
フードの前側に付けてみたりもしたが、
やはり不自然だった。
ようやく、落ち着いて検索できる時間ができて、
ひとつのフィルターに行き当たった。

HAKUBA XC-PRO EXTREME LENS GUARD 49mm
薄枠ということもあって、
手持ちのフィルターと比べると差は明らかだった。

半信半疑のまま、試してみることにした。

届いたフィルターは、驚くほど軽かった。
思わず指紋をつけてしまうくらい、薄い。

ほとんど、枠がないみたいに見える。

少しだけ緊張しながら、レンズに取り付ける。
ねじ込みが斜めになりそうで、妙に気を遣う。

ようやく、きちんと収まった。

間を置かず、
その上からフードを回す。

今までと同じ動作なのに、
途中で止まらない。

そのまま、最後まで回りきる。

カチッと、音がした。

きちんと閉まっている。

ほんのそれだけのことなのに、
少しだけ、気持ちがほどける。

ノーフィルターのときと、まったく同じ感触だった。
ただ、それだけで、
このレンズはようやく完成したような気がした。

見た目はほとんど変わらない。

でも、どこかで引っかかっていたものが、
きれいに消えている。

こういう整い方は、
たぶん写真には写らない。

けれど、持ち出すときの気分には、
確実に影響してくる。

このレンズを付けて歩くとき、
もう余計なことを考えなくていい。

軽さも、収まりも、
すべてがそのまま、ひとつになっている。

ようやく、ただ歩くだけでいい状態になった。

たぶん、同じところで引っかかっている人はいると思う。

もしそうなら、
このフィルターは、静かに効く。

派手ではないけれど、
きちんと収まる。

それで十分だと思う。

そういうわずかなズレを、
ずっと気にしながら使っていたのだと思う。

ただ歩いた先に、こういう時間がある。

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3/17/2026

痛みのあとの、迷彩模様


   久しぶりに、駿府城公園のプラタナスと向き合った。
「再会」と呼ぶには、こちらの身体が少し痛んでいた。

この二週間、帯状疱疹という厄介な病に伏していた。
神経を逆なでするような痛みに耐え、
ほとんど寝たきりの生活。
治療を終え、その足で公園へ向かいながら、
衰えた筋力に思わず苦笑する。

カメラを構える指先も、どこか重い。

見上げた先には、いつものプラタナス。
剥がれ落ちた樹皮の迷彩模様が、
首筋から頭皮に現れた斑点とどこか似ていて、
妙な親近感すら覚える。

去年の十一月半ば、
あれほど葉と実に満ちていたこの木も、
いまはすっかり身軽になっている。
プラタナスを見ると、理由はうまく説明できないのだが、
はしだのりひことシューベルツの「風」を思い出す。
今回は思い出すだけでは足りず、
あらためて聴き返した。
「振り返らず、泣かないで歩くんだ──」
あの一節だけが、残った。

消え入りそうな体力をかき集めながら、
「歩くんだー」というフレーズを、
文字通り一歩ずつなぞっている。

以前の日記に、こんなことを書いていた。

最後の「歩くんだー」だけ、
なぜかワンオクターブ上げる謎アレンジ。
そこで曲が終わってしまうのである。

原曲は、実はまだ続いていて、
そこには風が吹いているだけー、
最後には吹いているだけーの
フェードアウトで終わる曲だった。

途中で略して終わるのが、どうしても好きになれなくて、
その部分だけ、引き続きそっと声をだした。
みんなの歌声の中で、
一人だけ続きを歌い、フェードアウトする感覚。

──引用終わり。

あのときは笑っていたその違和感が、
まさかリハビリの掛け声になるとは思わなかった。

通院の帰り、少しだけ遠回りをする。
三月も半ばを過ぎ、額にかすかな汗がにじむ。

ベンチに腰を下ろすと、
冬の名残と春の兆しが混ざり合った空が、
驚くほど青かった。

いまの自分には、
無骨で、それでいて確かな生命力を宿した
スズカケノキの「鈴」のほうが、
どんなイルミネーションよりも静かに輝いて見える。

猪鹿蝶のような華やかさには、まだ手が届かない。
けれど、この枯淡なモノトーンは、
不思議と心地よい。

モザイク越しに憧れていた
「ナツロス」の季節は、まだ先だ。
まずは、プラタナスの樹皮のように、
剥がれ落ちては新しくなる時間を、受け入れていこう。

痛みとともに、春を待つ。
フェードアウトしかけていた身体に、
ゆっくりと音が戻ってくる。

私なりの、
スローなフェードインの始まりである。

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