10/12/2025

サイゼリヤ静岡伊勢丹前店、午後の記録

   昔のフォルダを整理していたら、
一枚の写真が出てきた。
いまはもうなくなってしまった、
サイゼリヤ静岡伊勢丹前店の店内である。

光はやわらかく滲み、テーブルの縁を
かすかに金色へ寄せている。
窓の外では、赤と緑の看板が午後の光に溶け、
輪郭を失っていた。

ガラス越しに、街の反射がゆらいでいる。
もしあのとき、窓際の席に座っていたなら、
通りを行き交う人の影や、
バスを待つ誰かの小さな動きまで、
写真の片隅に紛れ込んでいたかもしれない。

テーブルの上には灰皿とメニュー表。
その端に、「日替わりランチ 600円」と、
控えめに印刷されている。

いまのサイゼリヤには、もう日替わりランチはない。
その一行だけが、ある時代の午後を、
写真の中に閉じ込めているように見えた。

灰皿──そう、まだ喫煙が
許されていた頃のサイゼリヤだ。
禁煙の流れが加速しても、この店ではしばらくのあいだ、
煙が特別なものではなく、
空気の一部として漂っていた気がする。

僕は喫煙者ではあるが、紙巻き煙草の匂いは苦手だ。
八年ほど前までは、どうにか受け流せていた。
いまはもう、そうはいかない。
料理の香りを邪魔するからではない。
衣服やバッグ、髪にまで残る、
あの微細な粒子の気配が、どうにも落ち着かないのだ。

だから、サイゼリヤが完全に禁煙になったとき、
ほんの少し、胸を撫で下ろした。

煙のない空気を思い浮かべながら、
写真の中の光と、「600円」の文字が、
静かな午後の感触とともに、
ゆっくりと胸の奥に戻ってくる。

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