サイゼリヤ静岡伊勢丹前店、午後の記録
昔のフォルダを整理していたら、
一枚の写真が出てきた。
いまはもうなくなってしまった、
サイゼリヤ静岡伊勢丹前店の店内である。
光はやわらかく滲み、テーブルの縁を
かすかに金色へ寄せている。
窓の外では、赤と緑の看板が午後の光に溶け、
輪郭を失っていた。
ガラス越しに、街の反射がゆらいでいる。
もしあのとき、窓際の席に座っていたなら、
通りを行き交う人の影や、
バスを待つ誰かの小さな動きまで、
写真の片隅に紛れ込んでいたかもしれない。
テーブルの上には灰皿とメニュー表。
その端に、「日替わりランチ 600円」と、
控えめに印刷されている。
いまのサイゼリヤには、もう日替わりランチはない。
その一行だけが、ある時代の午後を、
写真の中に閉じ込めているように見えた。
灰皿──そう、まだ喫煙が
許されていた頃のサイゼリヤだ。
禁煙の流れが加速しても、この店ではしばらくのあいだ、
煙が特別なものではなく、
空気の一部として漂っていた気がする。
僕は喫煙者ではあるが、紙巻き煙草の匂いは苦手だ。
八年ほど前までは、どうにか受け流せていた。
いまはもう、そうはいかない。
料理の香りを邪魔するからではない。
衣服やバッグ、髪にまで残る、
あの微細な粒子の気配が、どうにも落ち着かないのだ。
だから、サイゼリヤが完全に禁煙になったとき、
ほんの少し、胸を撫で下ろした。
煙のない空気を思い浮かべながら、
写真の中の光と、「600円」の文字が、
静かな午後の感触とともに、
ゆっくりと胸の奥に戻ってくる。
一枚の写真が出てきた。
いまはもうなくなってしまった、
サイゼリヤ静岡伊勢丹前店の店内である。
光はやわらかく滲み、テーブルの縁を
かすかに金色へ寄せている。
窓の外では、赤と緑の看板が午後の光に溶け、
輪郭を失っていた。
ガラス越しに、街の反射がゆらいでいる。
もしあのとき、窓際の席に座っていたなら、
通りを行き交う人の影や、
バスを待つ誰かの小さな動きまで、
写真の片隅に紛れ込んでいたかもしれない。
テーブルの上には灰皿とメニュー表。
その端に、「日替わりランチ 600円」と、
控えめに印刷されている。
いまのサイゼリヤには、もう日替わりランチはない。
その一行だけが、ある時代の午後を、
写真の中に閉じ込めているように見えた。
灰皿──そう、まだ喫煙が
許されていた頃のサイゼリヤだ。
禁煙の流れが加速しても、この店ではしばらくのあいだ、
煙が特別なものではなく、
空気の一部として漂っていた気がする。
僕は喫煙者ではあるが、紙巻き煙草の匂いは苦手だ。
八年ほど前までは、どうにか受け流せていた。
いまはもう、そうはいかない。
料理の香りを邪魔するからではない。
衣服やバッグ、髪にまで残る、
あの微細な粒子の気配が、どうにも落ち着かないのだ。
だから、サイゼリヤが完全に禁煙になったとき、
ほんの少し、胸を撫で下ろした。
煙のない空気を思い浮かべながら、
写真の中の光と、「600円」の文字が、
静かな午後の感触とともに、
ゆっくりと胸の奥に戻ってくる。
ラベル: 長い文章
