9/08/2025

しっかりしなさい──銀座から柴又へ


   帰省シーズンになると、テレビは決まって
空港や駅の雑踏を映し出す。
 
小学生の一人旅もそこに混じり、
迷いなく飛行機や新幹線を乗り継いでいく。
GPSに導かれながら、怯える様子もない。
 
昔なら保護者同伴が当たり前だった。
画面を眺めながら、私は首をひねる。
 
私はいまだに飛行機に乗ったことがない。
たぶん、これからもないだろう。
坂上二郎の真似で「飛びます飛びます」と言って
済ませる気がしている。
そもそも帰るべき「故郷」もない。
羨ましいというより、少し置いていかれた気がした。

それでも昔、東京──とりわけ
『男はつらいよ』の舞台になった葛飾・柴又に
行ってみたいと思ったことがあった。
男の哀愁や不器用さ。
そんなものに惹かれたのかもしれない。
いや、たぶん違う。

るるぶを買って路線図を眺めた。
新幹線と山手線まではわかったが、
柴又への行き方がどうしても掴めなかった。
 
緑や赤、黄色の線が絡まり合って、
まるで草むらの迷路のようだった。

スマホも乗換案内もない時代。
誰かに頼るしかない。

寅さん好きの先輩に相談すると、
「ちょうど銀座で長渕剛の絵画展がある。
そのついでに案内してやる」と言った。

私は長渕にも、他の有名人にも興味がなかった。
誰かのファンになったこともない。
柴又へ行きたかった理由も、
たぶん沈黙を避けるためだった。

旅は夜行列車で始まった。
朝八時の上京を想定していた私は面食らった。

東京駅に着いたのは夜明け前。
ホームは昼間のように人がいた。
画廊の開館まで時間があり、
駅の外を歩いた。

記憶はほとんど抜け落ちているが、
ひとつだけ、妙に鮮やかだ。

コンビニの前に、スーツ姿の中年が立っていた。
全身ずぶ濡れで、髪も服も滴っている。

初冬の冷気の中、川から引き上げられた
ばかりのようだった。

理由は知らない。ぼったくりにでも遭ったのだろうか。
誰も声をかけない。私も、その一人だった。

そのとき、胸の奥で声がした。
「しっかりしなさい」と。

東京という街の冷たさを、
そのとき初めて知った。

やがて朝八時。
銀座の画廊にはすでに長い列ができていた。
開館まで二時間。

周囲も先輩も「ツヨシがさぁ」
「ツヨシがよぉ」と語り合う。
曇り空の下、熱気が白い湯気のように立ちのぼる。

そのツヨシ、ツヨシ、ツヨシだらけの
世界に圧倒されながら、
私は心の中でつぶやいた。

「君たち、しっかりしなさい」と。

当時放送されていた
『ツヨシしっかりしなさい』を思い出してのことだが、
特別な意味はない。語呂がよかっただけだ。

もちろん、口には出さない。
笑顔のふりをして黙っていた。
声を重ねる人々の中で、
自分の音だけが浮いていた。

二時間待つのは退屈だった。
だが、通りの人から見れば、
私も熱烈なファンの一人に見えただろう。
その錯覚が、少し堪えた。
 
先輩は十万円の絵を買った。
右下のサインだけ直筆の複製画。
周囲でも次々と札束が動いた。
私はただ、立っていた。

そこから柴又へ向かったはずだが、
どうやって行ったのか思い出せない。

柴又駅の風景だけが、ぼんやり残っている。
映画のような人情にも、
優しい言葉にも出会わなかった。
ただ、「どうしてここにいるんだろう」と思っていた。

目的地に着いても、
物語はどこにも生まれなかった。

今ならスマホひとつで
誰にも頼らず行けるだろう。

だが、あの頃の私に「しっかりしなさい」と言うのは
いささか無責任だ。
むしろ今の私こそ、そう言われる気がする。

お金とスマホさえあれば、
ひとりでどこへでも行ける時代。
便利で、冷たい。

けれど銀座で見た「誰かを信じて声を重ねる」世界には、
結局、馴染めなかった。

いまSNSでファン同士が熱を交わす光景を見るたび、
あの日の銀座を思い出す。
外から眺めている自分だけが、また浮いている。
 
記憶に残るのは、柴又の天丼屋の匂いだ。
キスの白身がほろりと崩れ、
黒い胡麻油の湯気に溶けていく。
器の中の白さが、一瞬だけ光った。
冷たい街を歩き抜けたあとで見た、その白身。
あれが、たぶん私にとっての旅の救いだった。

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