我が日本昔話──マグロと沈黙
いま思えば、もうほとんど幻のような回転寿司屋だ。
寿司は、ベルトに乗る前に、
ちゃんと人の手で握られていた。
その所作には、急ぐ様子も、
愛想もなく、ただ静かな誇りだけがあった。
私はマグロが食べたかった。
けれど、待っていても、なかなか回ってこない。
注文するには、席の手前に据えられたマイクに向かって、
「マグロッ」と声を張らなければならなかった。
それは注文というより、自己主張の儀式だった。
内気だった当時の私は、
その儀式をどうしても通過できず、
ただ黙って、皿の流れを眺めていた。
マグロは遠く、声は喉の奥で固まったままだった。
空腹だけが先に育っていく。
それでも私は、回転トレイの上に
握りのマグロが置かれる瞬間を待ち続けた。
だが、やはり回ってこない。
不渡り、というやつだ。
マイクに向かう勇気は、最後まで湧かなかった。
仕方がないので、サーモンで繋いだ。
妥協というより、無言の抵抗だった。
時は流れ、いまの私は、
某俳優のような声色で「マグロッ」と言える程度には
図々しくなった。
振り向きざまに、ひと言。
それは自己主張というより、
ちょっとした演技、あるいは芸だった。
――と思った、その瞬間。
寿司屋は、すでにタッチパネル注文に変わっていた。
マイクは沈黙し、声は不要になった。
「内気のままでいいんだよ」と
言われているようでもあり、
「余計なことはしなくていい」と
釘を刺されているようでもあった。
声を張り上げる必要のない、静かな進化。
これは、我が日本昔話。
マグロをめぐる、ささやかな文明史だ。
ボタンを押せば、黙ってマグロが流れてくる。
もう「マグロッ」と叫ぶ声は、
誰からも求められていない。
芸の出番も、儀式もない。
残されたのは、寿司でもなく、私でもなく、
無言で光る、液晶のボタンだけだった。
そう考えると、
マグロも、私も、
最初から居ても居なくても
よかったのかもしれない。
ラベル: 長い文章

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