6/27/2025

距離目盛りのある風景


   M.ZUIKO DIGITAL ED 12mm F2.0を、
少しだけ安く手に入れた。

ほとんど迷うこともなく、即決だった。
長年使っていた14-42mmの標準ズームが、
ある日、前触れもなく動かなくなった。
撮れなくなると、手が空くというより、
自分だけがその場から切り離されたような感覚になる。
電源を入れると、
そのレンズはいつもスッと前に伸びた。
私はこまめにスイッチを切ったり入れたりしていたから、
それがどこかを傷めたのかもしれない。
そう思うことにしている。
それで、12mmを迎え入れた。

ずっと気になっていたレンズだった。
クラシックなPENの筐体にしっくりくる、
金属の手触り。無言の重み。F2.0の明るさ。

それでもこれまで、「自分には縁がない」と
どこかで決めつけていた。

だから今回の出会いには、
ほんの少し、出来すぎた感じがあった。

オートフォーカスが当たり前になった今でも、
ピントの距離目盛りが
きちんと刻まれているのがうれしい。

少し古びた精密機器に触れているような感覚。
絞り優先でしか撮らない自分には、これで十分だった。

迷っていたレンズフードも、某ポイントで交換した。

つけてみると、思っていたより存在感があり、
カメラ全体が前へ出てくる。
だから普段は外しておいて、逆光のときだけ、
そっと取り出す。それくらいが、ちょうどいい。

何枚か撮ってみた。
気まぐれで選んだはずなのに、
写ったのは、どこか前から
決まっていたような場所ばかりだった。

12mmという広角は、
思っていた以上に景色をすくい取る。
島田の大井川・川越遺跡では、
石像の筋肉と、
そこに積もった時間が、
レンズ越しに静かに伝わってきた。

古民家で見た人形の姿に、ふと祖父の背中を思い出す。
学校から帰ると、祖父がいた。
湯気のにおい。柱の影。
あの家には、不便さと一緒に、
確かな重さがあった。

今の暮らしの中で、あの重さだけが、
なぜか消えずに残っている。
昔のわが家の玄関も、たしかにこんな感じだった。
右側には黒電話があって、
電話をかけるときも、受けるときも、
三和土のつっかけを慌てて履き、
少し緊張しながら立った。

電話機というものは、どこか「怖いもの」だった。
川越遺跡の片隅で、そんなことを思い出していた。

戸の奥から、何かを問われているような気配がある。
誰にも名前を呼ばれていないのに、

「次の方どうぞ」
そんな声が、ふと背後から届いた気がして、
一歩、前へ出そうになった。
大井神社の境内では、カブトムシの幼虫が
無人で売られていた。三匹四百円。

「かぶとへのへんしん」
そう書かれた観察キットの横に、
「キミもへんしんの目撃者!」というコピー。

願いごとよりも、こういう小さな変身のほうが、
現実的で、ずっとやさしく見えた。
ラムネ。鯉鳩のエサ。
ソフトクリーム。心太。甘酒。

その自由すぎる並びに、思わず足を止める。

木漏れ日の中の売店の看板は、
季語のない俳句のようだった。

ラベル:

6/21/2025

線路は草に覆われても


   久しぶりに──大井川沿いの無人駅へ。

子供の頃を過ごした場所に、
ふと立ち寄った。

観光では届かない、
静かな懐かしさがある。

いまの線路もホームも、
昔とは場所が違っていた。
たしか、道路の拡張工事のときに
付け替えられたのだった。

列車が来なくなって久しく、
線路は草に覆われはじめていた。
それでも、風景はゆっくりと
馴染んでいく気配を見せていた。

あの頃の木造駅舎が、
もし今も残っていたなら──
吊り橋のそばで、
足を止める人の影も
もう少しあったかもしれない。
昔の映画に、
この駅が映っていたことを思い出す。

記憶の中の景色と、
映画の中のそれと、
そして今ここにある風景が、
すこしずつ輪郭を溶かしながら、
ひとつになっていくようだった。

ラベル:

6/09/2025

断章の地平


   街は生きている、という言い方がある。
けれども最近歩いていて思うのは、
これは「生きているふり」を
している街なのではないか、という疑念だ。

建物の壁面も、路地の角度も、カフェの看板も、
いまやスマートフォンに撮られる前提で
化粧を施されている。

人が住むための街というより、画像の背景としての街。
では本当に生きているのはどちらなのだろう、
と立ち止まることがある。

競輪場の近くでよく目にする光景がある。
新しいゲーム機の発売日、整然と並ぶ行列。
その多くがジャンパー姿の中年から高齢の男性で、
子供の姿はほとんど見当たらない。

ただの偶然かもしれないが、「いない」という事実は、
どうしても風景として記憶に残る。
時代はこうして、音もなく傾いていくのだろうか。

新聞の訃報欄を眺めて、ふと気づいたことがある。
亡くなってから出棺までの間隔が、
以前より短くなっている。
先月目の当たりにした火葬場の混雑も、
いまは落ち着いているらしい。
控室は相変わらず広いが、
見送る人はぽつりぽつりとしかいない。
十五年前に見た同じ場所の光景とは、
明らかに違っていた。

ある記憶が、今も鮮明に残っている。
一八八四年生まれの女性が、
当時流行していた歌謡曲「骨まで愛して」を耳にして、
「イヤな唄だねえ」と小さく呟いた。
その一言が、なぜか二〇二五年の今も離れない。
愛の言葉ひとつ取っても、
世代や生の感触は、これほどまでに違う。

そういえば、「大根足」という
言葉を最近見かけなくなった。
網戸に無数に這っていたウンカの姿も、
もう長いこと見ていない。
言葉も虫も、声を上げずに消えていく。

通信アプリは、通知と営業と勧誘の波で満ちている。
それでも、顔と心を知っている友人と
待ち合わせをするときには、
いちばん自然に手が伸びる。身体が覚えている距離感は、
まだそこに残っているのだと思いたい。

流れていく時間の中で、感度は確実に鈍くなっている。
子供の頃、風呂上がりの縁側で、陸軍だった祖父や海軍にいた叔父から聞いた空襲や戦地の話は、
今や遠い声になった。
悲惨さに慣れてしまった自分を、ときどき情けなく思う。

それでも、街の違和感や、人の減った控室や、
誰かの何気ない一言は、断片として
まだ自分の中に残っている。
整ってはいないが、確かにそこに、
その時々の自分はいた。

そう信じるために、こうして
書き留めているのかもしれない。

ラベル:

6/01/2025

ハイそれまでョ─まるでダメ男カルパッチョ風─平成27年8月31日


   ここ最近、身だしなみに対する無関心さが薄れてきて、
8月最後の土曜日だし、
たまにはネオン街の灯りでも浴びようか──
そんな気分になっていた。

ところが、財布と家計簿を見た瞬間、
頭の中のスイッチが落ちた。
大赤字。
夜風どころか、現実の風しか吹いていなかった。

結局、おでかけは中止。
代わりに、街はずれの魚屋で調理済みの海つぼを買い、
スーパーマム若松町で寿司を足して、
居酒屋ジターク(=自宅)で静かに飲むことにした。
海つぼなんて、いつ以来だろう。
子どもの頃は、駄菓子屋の片隅でも売られていて、
小さなプラスチック皿の上で塩気だけがやけに強かった。
あれが、今ではちょっとした高級扱いだ。
まるで大出世を果たした数の子や大トロみたいに。
(もっとも、どちらも僕は苦手なのだが)

しかも、すぐ食べられるものは滅多に見つからない。
生の海つぼは売っていても、僕には扱いきれない。
八年ほど一人暮らしをしていたけれど、
まともな料理の記憶はほとんどない。
せいぜい、こてっちゃんをフライパンで温めるくらいだ。
……料理と呼ぶには躊躇する作業ではある。

ピーマンの種を捨てるものだと知らず、
そのまま食べていたことを女友だちに話したら、
「バカじゃないの」と笑われた。
あのときの笑い方が、なぜか今でも耳に残っている。

料理は僕には向かない。
そのへんは、貴女の出番なのだろう。
もっとも、肝心の相手は相変わらず不感症で、
こちらの言葉なんて、まともに届いていない。
話を戻す。
計算し直してみると、ここ半年ばかりの
キャバクラ通いのせいで、
全財産は軽自動車がもう一台買える額ほど減っていた。
馬鹿だと自分でも思う。
でも、財布の数字より厄介なのは、
そこに積もった癖みたいなものだ。
とはいえ、昨日の海つぼはうまかった。
爪楊枝で殻をほじりながら、
最後のワタがすっと抜けたら
「カイカン…」と言えるのだろうが、
僕はいつも通り、途中でちぎってしまった。
そんなところまで不器用なのだから仕方ない。

──まるでダメ男、カルパッチョ風。
薄くスライスしなくても、もともと薄いのに。

ラベル:

頁のはじめへ