笑いについて
驚きというものは、
ときどきこちらに新しい視点をもたらし、
「もう少し生きてみようか」と未来に対する、
かすかな猶予をくれる。
そんな気分で、ふっと口元が緩んだだけなのに、
「バカにしてるの?」
と問い返されたことが、何度もある。
たぶん、私の笑い方なのだろう。
表情か、声音か、あるいはその両方か。
自分では確かめようもないが、
相手の顔を見ると、だいたい察しはつく。
世の中には、「前略」、いきなりプロフィール欄で
「俺はあらゆる人間を笑わせることができる」
と書いている人が、ときどきいる。
笑いには種類がある。爆笑、微笑、苦笑、失笑。
ときには嘲笑も含まれる。
それらをすべて飲み込んだうえでの自信なのだとしたら、
それはもう、なかなか立派な精神構造だと思う。
もっとも、それが舞台に立つ人や
名の知られた芸人ならば、まだ話は分かる。
だが、「プロではない」人が自己紹介として
掲げる「笑い」という言葉には、
少し居心地の悪さを覚える。
本当はここから、自己表現としての
笑いについて書こうと思っていた。だが、右手の電話機で
短文SNSを眺めているうちに、話題はすり替わった。
画面を親指でなぞり続ける、企業アカウントの懸賞応募。
フォローして、リポストして、当選を待つ。
その単調な往復運動の途中で、
理由の分からない疲労を覚えた。
カラオケで「熱唱した」という達成感を
動画で共有する光景にも、似たものを感じる。
耳を塞ぎたくなる羞恥と、目を逸らしたくなる生々しさ。
歌声よりも、身体の置き場が定まらない動きのほうが
気になってしまうのは、たぶん私の側の問題だ。
それでも、画面の向こうでは、
それが「正しい喜び」として処理されていく。
笑うことが、誰かを和ませるのか、誰かを遠ざけるのか。
その境界は、どうやら曖昧なままだ。
明日、意図せず笑ってしまう瞬間が一度でもあれば、
それで十分なのかもしれない。
そう思える日と、思えない日がある。
今日は、どちらだったかは、まだ分からない。
ラベル: 長い文章

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