4/30/2025

笑いについて


   驚きというものは、
ときどきこちらに新しい視点をもたらし、
「もう少し生きてみようか」と未来に対する、
かすかな猶予をくれる。

そんな気分で、ふっと口元が緩んだだけなのに、
「バカにしてるの?」
と問い返されたことが、何度もある。

たぶん、私の笑い方なのだろう。
表情か、声音か、あるいはその両方か。
自分では確かめようもないが、
相手の顔を見ると、だいたい察しはつく。

世の中には、「前略」、いきなりプロフィール欄で
「俺はあらゆる人間を笑わせることができる」
と書いている人が、ときどきいる。

笑いには種類がある。爆笑、微笑、苦笑、失笑。
ときには嘲笑も含まれる。
それらをすべて飲み込んだうえでの自信なのだとしたら、
それはもう、なかなか立派な精神構造だと思う。

もっとも、それが舞台に立つ人や
名の知られた芸人ならば、まだ話は分かる。
だが、「プロではない」人が自己紹介として
掲げる「笑い」という言葉には、
少し居心地の悪さを覚える。

本当はここから、自己表現としての
笑いについて書こうと思っていた。だが、右手の電話機で
短文SNSを眺めているうちに、話題はすり替わった。

画面を親指でなぞり続ける、企業アカウントの懸賞応募。
フォローして、リポストして、当選を待つ。
その単調な往復運動の途中で、
理由の分からない疲労を覚えた。

カラオケで「熱唱した」という達成感を
動画で共有する光景にも、似たものを感じる。

耳を塞ぎたくなる羞恥と、目を逸らしたくなる生々しさ。
歌声よりも、身体の置き場が定まらない動きのほうが
気になってしまうのは、たぶん私の側の問題だ。

それでも、画面の向こうでは、
それが「正しい喜び」として処理されていく。

笑うことが、誰かを和ませるのか、誰かを遠ざけるのか。
その境界は、どうやら曖昧なままだ。

明日、意図せず笑ってしまう瞬間が一度でもあれば、
それで十分なのかもしれない。
そう思える日と、思えない日がある。
今日は、どちらだったかは、まだ分からない。

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4/22/2025

40分待つのだぞ

40分待つのだぞ──

   随分前のことだが、
ピンサロ嬢が彼女だった。
惚気とも言い切れず、
かといって距離が遠いわけでもない──
その、なんとも微妙な位置にいた頃の話だ。

互いのフィーチャーフォンは、
ほぼ30秒間隔で鳴り続けていた。
光速とまでは言わないが、あの頃の文通ラリーには、
それなりに熱があった。

ところが、急に音沙汰が途絶える。
「あ、仕事が始まったんだな」と気づく。

そこから私の妄想タイムが始まる。
彼女は、言ってしまえばみんなのアイドルである。
そう思うだけで、腹の底がゆっくり捩れる。

「ウー、うぎゃー」と転げ回った……
と書きたいところだが、
実際はタバコを立て続けに吸って、
喉にイガイガが残っただけだ。

そんな情けない感情整理をしているうちに、
ほぼきっかり40分後、彼女からメールが届く。
まるで何事もなかったかのように、日常の話題で。

そういうやりとりの積み重ねのなかで、
当たり前のデートも、恋愛と呼んでいい季節も、
たしかに存在した。

だが、嫉妬をうまく処理できず、
恋人から友達へ、そして友達からそれ以下へ──
私は自分を転げ落とした。

誰が悪いというわけでもない。ただ、そうなった。

それから、ずいぶん年月を無駄にしてきた気がする。
今になって言い訳をするなら、
「あの頃はどうしようもなく若かった」─。
そのひとことに尽きる。

今ではもう、あの40分にも用はない。
今は、たまに広告メールが届くだけだ。

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4/18/2025

街と記憶のあいだで


   街を歩いていて、
どうしても思い出せない場所がある。

昔、たしかそこに
マクドナルドがあったような気がしていた。
そう思い込んで、しばらく立ち止まった。

けれど、どうも違う。

正確には、
マクドランドという名前の店だった。
いま考えれば、
ファストフードではなく、
もっと夜寄りの場所だったはずだ。

名前だけが似ていて、
記憶の中で、いつのまにか
都合よく置き換わっていたらしい。

角だったのか、
少し奥まっていたのか。
入口がどちらを向いていたのかも、
もうはっきりしない。

街並みが変わったせいなのか、
それとも、こちらの記憶が
先に摩耗したのか。
どちらとも言えない。

写真を撮りながら歩いている。
記録というより、
確認作業に近い。

ファインダーを覗くと、
肉眼よりも、少しだけ
世界が整理される。
余計なものが切り取られ、
「見ている」という行為だけが残る。

最近、視界がやけに澄む日がある。
冬の光のせいなのか、
それとも、単に
目が疲れているだけなのか。

遠くはよく見えるのに、
近くのものがぼやける。
歩幅も、いつのまにか
短くなった。

昔なら、
この通りをどれくらいで
抜けられたかを、
無意識に測っていた。
いまは、距離よりも、
途中で腰を下ろせる場所を
探している。

それでも街は、
こちらの事情など関係なく、
淡々と更新されていく。

名前の変わった建物。
用途の分からない空き区画。
どこかで見た気がするが、
確証のない風景。

思い出せないことが増えた分、
見えてくるものもある。

写真を撮るのは、
懐かしむためというより、
「いま、ここに立っている」
という事実を残すためだ。

モテたかったな、と思う瞬間が
まったくないわけではない。
ただ、その感情も、
街と同じで、
もう急がない。

名前を思い出せない場所の前で、
少し立ち止まり、
シャッターを切る。

それで、今日は十分だと思っている。

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4/01/2025

写真が嘘をつく日


   本日、ようやく。
再起動もせず、日本語設定のまま使える状態になった。

それだけのことなのに、
妙に落ち着かなかった。

AIの画像生成ツールを立ち上げる。
まずは、昔撮った知人の写真を一枚。
細かな指示は出さず、ただ読み込ませる。

(こういう画像は、本当なら
個人の手元だけに置いておくべきなのだろう)

出てきたのは、
写真よりも写真らしい質感をしたイラストだった。

似ている。
驚くほど、似ている。

誰もいない部屋で、
思わず声が出た。
その瞬間、
誰かに見せたくなった自分に気づいて、
少しだけ、ぞっとした。

次に、自分の写真を試す。
飲み会の席で、
無防備に撮られた一枚だ。

結果──
そこにいたのは、
知らない誰かだった。

番号を振るなら、
二十八号あたり。

笑った。
けれど、胸の奥に、
うまく言葉にできないものが残った。

AIにも、
好かれなかったのかもしれない。
そんな冗談が浮かぶ。

楽しい。
確かに、楽しい。

ただ、
写真がこんなにも簡単に
別の何かに化ける時代に、
もう足を踏み入れてしまったのだとも思う。

新聞には、
うまく信じてしまった人たちの記事が並ぶ。
信頼という言葉は、
少しずつ手触りを失っていく。

新しい職場で、
距離を測るように投げかけられる
軽い質問。

それと、
無表情なAIの仮面が、
どこかで重なる。

どちらが危ういのか。
まだ、決められない。

写真は、
もう真実の証拠ではない。
ただ、
何かが始まってしまう
入口になりつつある。

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