12/19/2024

島田市大代のジャンボ干支──巳年の巻


   2017年1月以来、実に七年ぶりに、
大代のジャンボ干支を見に出かけた。
そもそもどう行ったのか記憶があいまいで、
番地のない空き地のような場所だったはずだ。

カーナビにも入力できず、旧中川根町の親戚に
連絡しようか迷ったが、結局は
「とりあえず前へ進んでいれば、そのうち着くだろ」
という気分のまま出発した。

道路標識だけを頼りに運転するのは、どこか懐かしい。
子供の頃から、大井川鉄道の駅名を
呪文のように唱えていたことを思い出す。

◆かなや、しんかなや、だいかんちょう、
ごか、かみお、ふくよう、おわだ、
いえやま、ぬくり、ささまど、
じな、しおごう、しもいずみ、たのくち、
するがとくやま、
あおべ、さきだいら、せんず…

いまでもすらすら出てくるのだから、
当時は相当な大鐵好きだったのだと思う。
もちろん日切駅や門出駅は存在しなかった時代のことだ。
 
今回もその癖が抜けず、
大井川鉄道沿線の道路を優先して走った。

駅名標識には何度も助けられた。
五和駅付近で左折しようとしたとき、
駅名がいつの間にか
「合格駅」に変わっていて、軽く目を疑った。

それでも道中のあちこちに、
赤いノボリのジャンボ干支、
黄色地に黒文字の「あと何分」の
案内板があり、とても親切だった。
結果としてカーナビなしでも何一つ困らず到着できた。

北へ北へと車を進めると、
最後に「あと0分」の看板が現れた。

その一枚だけ、なぜか漢字ではなく
カタカナで「エト」と書かれていた。
理由はよく分からないが、乾いた笑い声が
ひとつ車内に落ちた。
緊張がほぐれたせいかもしれない。

巳年のジャンボ干支は、目がしっかり光っていた。
静止画では伝わりにくいのが惜しい。
訪れた時間帯には、デイサービスの方々が来場しており、
記念撮影がにぎやかに行われていた。
左前方には藁で作られた大谷さんらしき像もあり、
これがまた素朴な味わいで良かった。
久しぶりに過去のジャンボ干支の写真を見返してみると、
その年の流行がさりげなく添えてあることに気づいた。

酉年の干支の横には、アポーペンの文字。
懐かしいコピ太郎の年だった。
ジャンボ干支というのは、
ある意味で地元の芸術なのかもしれない。
このウェブログは、
芸術というより別の方向へ転がりがちだが、
今回はジャンボ干支を見習い、
少し流行りものを添えてみることにした。

話題になっている mixi 2 にも一応登録してみたが、
短文しか投稿できず、パソコンからの利用は
どうにも勝手が悪い。
やはり私は、写真機片手に静かに
歩くほうが性に合っている。

これで2025年、巳年の記録としておきたい。
(終)

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12/14/2024

年の瀬の浅間神社で


   静岡浅間神社に、
来年の干支を描いた大絵馬が設置されたと静岡新聞で知り、
久しぶりに足を向けてみることにした。
正月の浅間神社は、例年どおりの大混雑だ。
干支絵馬の前には、人、人、人。
初詣の人波に押され、写真どころではなくなる。
だからこそ、まだ静かなうちに、
境内の空気を撮っておきたいと思った。
今年の元日以来の浅間神社である。
静岡市に長く暮らしているものの、
12月31日の深夜にここを訪れたことはない。
新聞に載る、真夜中の押し合いへし合いの
写真を見るたびに、
つい気圧されてしまうのだ。
私の初詣はたいてい元日か2日の朝、
陽が高くなり始める頃が定番である。
今年は馬場町側から参拝したが、
来年は長谷通り側から入ってみようか──
そんなことを考えながら歩いた。
そういえば昔、
SBSの夕方番組で「鳥居の下を車が通り抜けていた」
と驚く県外出身のタレントがいた。
静岡に暮らしていると、案外見慣れた光景なのだけれど。
今年の干支は「昇り龍」──。
レンズを向けながら、
境内を吹き抜ける冬の空気と共に、
一年がまた静かに折り返していくのを感じる。
広角単焦点レンズは、自分が動かなければ構図に入らない。
そのぶん歩数が増え、
画角を身体で覚えられるところがいい。
ズームばかり使っていると、
ついリングを回して済ませてしまい、
歩く距離も、思考も、どこか横着になる。
境内は穏やかだったが、「叶え馬」の前だけは人がいた。
それぞれの願いを胸に、
静かに手を合わせる姿があった。
私はといえば、馬の忙しさをおしはかり、
「願いを叶えてください」ではなく
「写真、撮らせてください」とだけ
心の中で小さくつぶやいた。
(念のため書いておくが、
私は馬上の人間でも、馬並みでもない。
ごく平凡なオトコだ)
撮った一枚には、三人の姿が写り込んでいた。
ひとつの年が終わる前の静けさを壊さないよう、
そっと姿だけ消して画を整えた。
12月31日までの、短い冬の余白がそこにあった。

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12/12/2024

静岡の昔に触れる午后


   その本を開くと、紙の繊維に染みこんだ古い街の湿度が、
そっと指先へ移ってくる。
私が撮ってきた記録よりも、さらに昔の静岡──
いまではもう確かめようのない輪郭が、
ページの奥で静かに息をしている。

思わず呟いてしまった。

「こんなに昔の静岡市って、ハイカラだったんだ…」

ページをめくるたびに、
当時の街路の光がこちらへ伸びてくる。
そして同時に、「これはどこから撮ったんだ?」
と首をかしげる。
ただ昔を見るだけではなく、
今の自分がその場所へ立ち戻る
ための地図を拾い集めているような感覚だ。

そうしているうちに、週末の習慣がひとつ増えた。
現在の街を、昔と同じアングルで歩いてみる──それだけ。
それだけなのに、見慣れたはずの景色が、
ほんのすこし柔らかく、こちらの胸に入り込んでくる。

最初の出費──約1万円。
たしかに痛かったが、
ちょっとそこまでがやけに贅沢になったこの時代に、
この本は小さな逃げ道を作ってくれた。

思えばこれまでの私は、
胸の奥にストレスをぎゅうぎゅう詰め込んだまま、
蓋を押さえることで一日を終えていた。
娯楽という言葉の意味さえ、どこか見失いかけていた。

けれど、この本と出会ってからは、
時間とお金の使い方を、ほんの少し再発明できた。
古い街の光景に導かれ、
凝り固まっていた呼吸がゆっくり戻ってきたのだ。
*2000年ごろの呉服町*
看板の「ツーカー」が、時代そのものを切り取っている。

携帯電話が急速に普及し、
「パソコンで気が向いたら読む」という緩い通信の空気が
ゆっくりと終わりを迎えつつあった頃だ。

いつの間にか、返事はリアルタイムで届くのが
当たり前になり、
ツーと言われたらカーと返す距離感が、
標準の人間関係になっていた。

便利さは、感情のたたずまいさえ書き換えていく。
その変化に、当時の私は気づかないふりをしていた。
──気づいてしまったら、
もう元へは戻れない気がしたからだ。
*昔の人宿町*
最近は地元メディアで名前をよく聞くようになった人宿町。
だが、私の知っている人宿町は、
すこしばかり寂れていて、
その寂れこそが街の呼吸になっていた。

午後の薄い光が路地にとどまり、
どこか遠い異国の街を歩いているような、
静かな誤解が生まれる場所だった。

いまは再開発の光が強すぎて、
街にあった陰影が少し消えてしまった気がする。
その人工的なきれいさに、どこか居心地の悪さを覚え、
いつの間にか足が遠のいてしまった。

けれどページに残る昔の風景と向き合っていると、
再びあの構図で街を切り取りに行きたくなる。
記憶と現実の重なりを、確かめにいくように。
*約15〜16年前の七間町その1*
七間町の「新オリオン座」や「有楽座」─。

いまは姿を消した映画館の名が、
フィルムの端のように残っている。
古い記憶カードが、かろうじて当時の
空気をつないでくれていた。
*約15〜16年前の七間町その2*
画面の向こうには、
かつての街のざわめきが
そのまま沈んでいる。

時代は戻らないのに、
光景だけがさりげなく戻ってくる。
その瞬間、ほんのわずかに自分の時間も揺れる。
*イタリア軒?*
結局入らないままになってしまった「イタリア軒」─。
チャーシューが絶品だと噂されていたのに、
若かった私は、意味のわからない意地で
ラーメンを避けていた。

30年以上前、この街道を歩いたときは、
週末の夜にすら行列が伸びていた。
その光景の端だけを眺め、私は店に背中を向けた。
あの頃の自分は、自分でもよくわからないほど頑固だった。

少しだけ後悔はある。
けれど、あの「入らなかった夜」も、
昔の静岡に置いてきた私自身の断片なのだろう。
風景と一緒に失われて、そして静かに残っている。

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12/10/2024

風の途上で──能満寺山公園、五年ぶりの午後


   静岡県榛原郡吉田町。ふと思い立ってハンドルを握り、
能満寺山公園へ向かった。前に来たのは2019年10月だった。
位置情報の履歴が、その年月だけを無表情に示していた。
駐車場脇の小さな池に、数匹の鯉がいた。
水を切る気配だけを残しながら、ゆっくりと近づいてくる。
餌を期待していたのだろう。
手ぶらの私は、代わりにカメラを向けて一枚だけ撮った。
帰宅して見返すと、思った以上に写りがよく、
壁紙にすると部屋の空気がわずかに変わった。
前回は小山城の展望台へ一直線に登ったせいで、
能満寺の存在を知らずに終わった。
今回はようやく境内に足を踏み入れる。
片隅に一本、堂々としたソテツが立っていた。
古い木らしく、厚い葉が冬の気配を静かに受け止めていた。

木々の色づきは、先月の法多山
尊永寺を訪れた頃に比べて、
ようやく深みが出てきたように思う。
冷え込みはきつく、近場を季節ごとに巡る旅も、
今年はこれで締めくくりだと思った。
展望台への坂道では、左右に赤い葉が並んでいる。
「以呂波紅葉」と名札があった。
やや整いすぎた配置に見えたが、かえってその人工の気配が目に残った。

今日は20ミリ一本。すべてマニュアルで、
露出計の数字を頼りに明暗の境目を探した。
普段の街撮りでは風のように通り過ぎてしまうが、
ここには人影がほとんどなく、
立ち止まることが許されていた。

角度を変え、行ったり来たりして、
静かにシャッターを押す。
その時間だけ、身体が久しぶりに落ち着いた。
丁寧に写真を撮ったのは、九年前、
ある女性の誕生日イベントを頼まれて以来かもしれない。
四本のレンズを替えながら、着替えのたびに
構図を組み直し、
失敗できない緊張の中で撮り続けた。いま思えば、
撮影とは体力をじわじわ奪う仕事だと、あのとき知った。
空には綿菓子のような雲があったが、
露出を建物に合わせたせいで真っ白に飛んだ。
撮り直そうとは思わなかった。
雲の気配だけが残り、かえって静かだった。
指先が冷えてきて、そろそろ戻ろうと思った。
晩秋の旅は短かったが、余韻だけはしっかり残った。

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12/09/2024

恩田原、変わりゆく地図の上で


   このところ、よく歩く。
日々の移動のほとんどを足で稼いでいるせいか、
万歩計のアプリが「歩きすぎです」と告げてくる。

褒め言葉なのか、忠告なのかは分からない。
ともあれ、下半身はすっかり安定し、
カメラを持つ手も、以前ほどぶれなくなった。

だが今回の写真は、誰の目も引かないだろう。
かつて、田と畑が広がり、用水が音を立て、
雑草からは葡萄のような匂いが漂っていた一帯──
恩田原の里。

東に目を向ければ、
銭湯の壁画のような富士山が見えた場所だ。

今は物流施設の鉄骨が視界をふさぎ、
農道も用水も消えた。

夏になればアスファルトが熱を溜め、
喉はすぐに麦茶を欲しがる。

記憶は止まることなく、
赤い「止まれ」の標識とは裏腹に、
静かに、しかし確実に消えていく。

観光地でもなければ、飲食店もない。
ただの住宅街で、色気も何もない。

けれど、かつての匂いや音を思い出すには、
これくらい飾り気のない場所のほうが
いいのかもしれない。
最近は、かつての安倍川町あたり、
今で言う駒形にも、
用事があるときに立ち寄る程度になった。
惣菜屋で野菜カレーや空芯菜を買い、
また歩き出す。

そこから、さらに北へ向かう。
古い路面電車の終点だった安西停留所跡を訪れると、
そこは一度ローソンになり、
さらに今は薬局に変わっていた。
風景は、何度でも着替える。

フィルムの時代は一枚を惜しみ、
三十六枚をどう使うか迷ったが、
デジタルになってからは
際限なく撮れるようになった。

今回も映えとは無縁の一枚ばかりだが、
ある日突然、更地になるかもしれない建物を前にして、
記憶の欠落を防ぐため、シャッターを切る。

永遠の風景など存在しない。
だから、今日も歩く。

首から下げたカメラが、
変わりゆく地図の上で、
せめて記憶の代わりになればと思いながら。

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12/01/2024

愛のライオン像と、「出会い」の銅像──青葉シンボルロードにて

 静かな曲が、
ふと胸のどこかをくすぐる瞬間があります。
ザ・タイガースの「星のプリンス」
なんて、その最たるものかもしれません。
甘さが過ぎる、と言えばそうかもしれない。
でも、このやたらと世知辛い世界には、

このくらいの砂糖菓子がちょうどいいのだと思います。
「銀河のロマンス」もまた、同じ匂いをまとっている。

──さて、2024年11月22日。
今年も青葉シンボルロードに、冬の光が戻ってきました。
透明で、すこし冷たい。
メゾソプラノの声が夜に滲むような、細い光の波。

正直に言えば、イルミネーションや
夜景はあまり得意ではありません。
冬の空の透明さが、
そのまま心細さの形になってしまうから。
それでも、写真にすれば妙に映えるから不思議です。

昔なら、こういう場所には当然のように隣に女性がいる──
そんなまともな大人を演じていた時期も
ありましたが、今年はひとりで歩いてみました。
ハートがあちらこちらに散らばっていて、
どこか笑ってしまう。
私の心は、そこまで傷んでもいないし、
かといって満たされているわけでもない。
そんな、ほどよい中間地点にいます。
週末のせいか、カメラを構える人影が多い。
デジタルの時代は気が楽です。
枚数も気にせずに撮れるし、
夜でも設定ひとつでどうにでもなる。
昔みたいに、感度を間違えて
「ああ、やっちまった」と呟くこともない。
今回は明るい単焦点レンズをつけて歩きました。
結果的には、それが正解でした。
いろいろ撮った中で、心に残ったのは三枚だけ──
結局、こういう余韻の残るものだけを選んでしまう。
(愛のライオン像)
(出会いその1)
(出会いその2)
「出会い」という名の、
ふくよかな男性二人の銅像は
新しい部類ですが、
「愛のライオン像」は、
たぶん五十年以上、この場所にいるはずです。

周囲はすっかり姿を変えたのに、彼だけは変わらない。
今年もまた会えたことが、素直にうれしい。
──そして、この光の道を歩いていると、
どうしても思い出す場面があります。

27年前、この場所には、
地下へ降りる小さな店がありました。
階段の上に置かれたパイプ椅子に、
年老いた女性が腰掛けていて、
彼女がそこにいるときだけ、その階下の扉が開く。

私たち若い男二人は、彼女に声をかけ、
案内されるようにして地下へ降りたものです。
(何の店だったかは、ここでは語らずにおきます)

上の階には、300円のラーメン屋があって、
用が済むと、そこでたわいもない反省会をして帰った。
あのラーメンの湯気だけが、
やけに明るかったことを覚えています。

今では、その地下の店も、ラーメン屋も消えてしまった。
建物だけが、かろうじて昔の姿を残しているだけです。

それでも、こうして時々ひとりで歩くと、
あの頃の空気だけが、
街のどこかでまだ息をしている気がするのです。

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