自然の解像度──あさはた緑地にて
小学校四年の十一月、
繁華街の学校へ転校するまでは、
山と田んぼと小川に囲まれた土地にいた。
隣家に同級生はおらず、
遊び相手といえば、動物や昆虫だった。
両親が購読してくれた「学研の科学」は、
座学よりも飼育や観察のきっかけになり、
日々の暮らしは小さな実験場のようだった。
そんな環境が、ある日いきなり変わる。
都会の小学校に通いはじめ、
遊び場は野原から百貨店に替わった。
同級生は増えたものの、どこか気取った空気に
うまく馴染めず、転校生という理由だけで
つまずくこともあった。
幼い自分には、それが都会の表情に見えた。今月の「すろーかる」で
静岡市葵区・あさはた緑地の特集を読み、
文章の呼吸に誘われるように
オリンパスペンを持って出かけた。
紅葉にはまだ早いが、
淡い秋色を含んだ一枚が撮れた。緑地は賑わい、犬たちが軽やかに走り回っている。
その動きの連なりが、
古いフランス映画のワンシーンのように
画面の奥へ流れていった。幼い頃に触れた大自然と、そこで出会った生き物たち。
思えばそれが、今も自分の心の基準になっている。
あさはた緑地は、その原風景をそっと呼び戻してくれる。センターハウスの壁には
動植物の一覧が貼られていた。ウシガエルにも、再会してみたい。
ナマズもいるという。外来種への注意書きを眺めながら、
ふと、人間の世界で語られる「多様性」のことを思った。
観察小屋からの眺めは広く、
湿地帯まで見渡せる。写真を撮る者が高いところに登りたがる気持ちは、
やはり否定できない。
ただ、夏の海岸でカメラを構えていれば
余計な誤解を招くこともある。
だから海は、肉眼で眺めるだけにしている。もともと動画にはあまり興味がなく、
静止画のほうが落ち着く。
写真集なら、距離を保ったまま
世界を自分のペースで覗ける。
動画では声音や動きの解像度が
想像より先にこちらへ届いてしまい、
ときに物語が壊れることがある。
その点、写真は沈黙を残してくれる。
想像の余白を、
こちらの手元に置いたままにしてくれるのだ。
ラベル: お散歩写真機









<< ホーム