7/31/2024

7月27日の停電──蒸し暑い部屋と、横着のはじまり


   7月27日、美容院へ向かうために街へ出た。
ブリーチからのカラーという、
年齢の割には手の込んだ施術をお願いしたので、
2時間以上じっと椅子に座っていた。

外は湿気を含んだ暑さで、遠くで雷が鈍く鳴っていたが、
すぐ近くに落ちる気配はなかった。

せっかく街に来たので、帰りはデパートをひと巡りする。
子どもの頃から、透明のエレベーターや
屋上が自分の遊び場だった。

その癖は大人になっても変わらず、
上へ下へと動く景色をぼんやり眺めていると、
時間が静かにすり減っていくようで落ち着く。

蒸し暑さに押されるように帰宅すると、
玄関を開けた瞬間の空気に違和感があった。
部屋が、妙にむっとしている。

レオパードゲッコーを飼っているため、
夏はエアコンをつけっぱなしにしている。
放っておくと、彼女には命取りになる暑さだからだ。

急いでケージをのぞくと無事だったものの、
温湿度計は30℃を示し、警告の表示が点滅していた。

風呂の給湯器も落ちており、
どうやら短い停電があったらしい。

中部電力の情報を見ると、
街の広い範囲が5分ほど停電していたという。

たった数分でも、帰宅が遅ければ、
ケージの中はもっと過酷な
環境になっていたかもしれない。

普段なら、美容院の帰りにふらりと居酒屋へ寄って、
気づけば午前様──が定番だ。
だが、この日はまっすぐ帰ってきた。
それだけで、ひとつの危機を避けたことになる。

日本の夏は、もはや別の国のようだ。
エアコンなしでは生活できず、
雷ひとつで部屋の環境が簡単に破綻する。

家族のいる実家なら誰かがスイッチを戻してくれるが、
一人暮らしではその
「ひと押し」をしてくれる人はいない。

ほどよい横着のままでいたくて、
スマート家電には見向きもしなかった。

だが、今回ばかりはさすがに考えをあらため、
温湿度の確認や操作ができる
スイッチボットを導入することにした。
ポイントで買えたのも大きい。

もちろん、スマート家電も停電には弱い。
100%の安心はない。それでも、
留守中の室温を知れるだけで、ひとつの心配は減る。
気まぐれな雷鳴ひとつが、生活の脆さを教えてくれる。

暑さは年々増し、台風の進路も読みにくい。
昔のような牧歌的な夏はとうに遠ざかり、
いま残っているのは、ただ静かに
観察するしかない風景だけだ。

部屋の中も、外の天気も、人の暮らしも、思いのほか脆い。
今年の夏は、それをあらためて思い知った。

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7/27/2024

部屋に音が増えていく


   とうとう、Echo Studioを二台、置いた。
念願といえば念願だが、勢いがなかったわけでもない。

気がつけば部屋には、
Google Nest Miniが三台、
Nest Audioが四台、
Amazon Echo(第四世代)が二台。
そこに、Studioが加わった。

数だけ見れば、もう十分すぎる。
すべて同時に鳴らせば、小さな
ライブハウスくらいにはなる。
もっとも、音量は常に最小限だ。
近所に気を遣うというより、
大きな音を必要としなくなった、というほうが近い。

この環境で、ラジオを聴く。
radikoを流し、朝は目覚まし代わりに使う。
Apple MusicとAmazon Musicも、切り替えなく使える。
無駄はない。
少なくとも、自分の中ではそう思っている。

だから、後悔という言葉は浮かばない。
ただ一つ困ったことがあるとすれば、
軽自動車のカーステレオが、

急に心許なく感じられるようになったことだ。

Echo Studioは、ボサノヴァがいい。
輪郭を立てすぎず、湿り気を残したまま鳴る。
音楽を聴く、というより、
部屋の空気を整える、という感覚に近い。

中毒かもしれない。
だが今のところ、
この静かな過剰さが、ちょうどいい。

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7/24/2024

すき家の昼、ひとりの影

 
   静かな午後だった。
苦手な外食チェーンのひとつ、すき家に入ったのは、
SoftBankの30%クーポンと、暑さのなかで
どうしてもニンニクを補給したかったからだ。

思えば、一年ぶりの再訪になる。
ラーメン店のカウンターで感じるあの「居場所の狭さ」は、
ここでは不思議と薄い。家族連れが多いせいか、
席と席のあいだに適度な距離がある。

がらんとした店内の隅のテーブル席に腰を下ろすと、
壁に囲まれたその小さな領域が、
外食の苦手な自分をそっと守ってくれた。

メニューを見ると、以前はなかった
サラダセットが増えている。
迷った末、シーザーサラダと、夏限定の
「トリプルにんにく牛丼」を選ぶ。
暑いくせに、あえて豚汁をつけた。
少し長めのドライブでたどり着いた知らない町のすき家は、
ほんのささやかな遠出のようで、
空腹と辛さの汗が程よく混ざり合い、
思った以上に良い昼食になった。
店内は最後まで静かで、写真も気兼ねなく撮れた。
ただ、その静けさをふと揺らす出来事があった。

少し離れたテーブルに、年配の男性がひとり。
タッチパネルがあるにもかかわらず、
店員を大きな声で呼び、口頭で注文し、
しばらくするとまた変更を告げる。
それを何度も繰り返している。

視線を向けないようにしていたのに、
ふと目をそらした拍子に、どこか落ち着きの行き場所を
探しているような佇まいだけが心に残った。

なぜか、そういう振る舞いほど周囲にそっと響いてしまう。
人の気配というものは、
いつも思い通りには薄まってくれない。

食後、セルフレジでPayPayを使おうとしたとき、
店員は「ありがとうございました」
と言い終える前に、すっと奥へ姿を消した。

疑っているわけではないのに、
決済を見届けられないままレジの
前に取り残されると、どこか宙ぶらりんになる。

人と関わるのが得意ではない自分ですら、
こういう場面ではひっかかるのだから、
人間というのはつくづく不思議だ。

ふと思う。
ドライブスルー──マクドナルドも、ロッテリアも、
ケンタッキーも、車に乗ったまま注文するあの世界は、
どうしても想像の段階で怖い。
外食のいくつかは克服してきたはずなのに、
そこだけはまだ遠いままだ。

今日のすき家は、誰にも邪魔されない
静かでやわらかな時間だった。
その風景の片隅に、こちらの気配も
また、しずかに溶け込んでいた。

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7/16/2024

最善の生き方は自分に正直になること


   久しぶりに東京タワーへ行こうかと思った。
入り口付近に立っていた、

樺太犬の像を、もう一度見ておきたくなったからだ。

調べてみると、像はすでに撤去されて久しいという。
二〇一三年頃、近代オリンピック関連の流れで
姿を消したらしい。
それを知った途端、
東京タワーへ足を運ぶ気持ちは、嘘のように萎んだ。

あの像は、あの場所にあったからこそ意味があった。
そう感じてしまう自分を、無理に言い換えるつもりはない。

過去に書き散らした短文を、まとめて残しておく。
役に立つ情報でもなく、
明日すぐに誰かの得になるものでもない。

呼び名に馴染めない代表チームの話。
今も使い続けている古い音楽プレーヤー。
店頭から消えた菜の花の辛子和えを惜しみ、
代わりにネギぬたを探して歩いた春。

背中のかゆみに、孫の手が必需品になったこと。

どれも取るに足らない。
だが、取るに足らないことの積み重ねでしか、
人は自分の輪郭を残せない。

カメラからファインダーは消え、
写真は「撮るもの」から「整えるもの」になった。
機械に話しかける生活にも、
いつの間にか慣れている。

ネットは便利になったが、居心地は良くない。
見知らぬ誰かに、
気軽に言葉を投げることはできないままだ。

人と人との「間」は、
京都の庭のように整うものではない。
そのことを、若い頃にはうまく扱えなかった。

街では、酒場よりも純喫茶が賑わっていると聞く。
色のついた飲み物や皿を眺めたい、
ただそれだけなのかもしれない。

誰もが「すぐに役立つもの」を求める時代だ。
だが私は、それをあまり信用していない。

日本は変わった。
自分も変わった。

最近は、上を向くよりも、
下を向いて歩いている。
落ちているものの方が、よく見える。

安易に約束はしない。
この考えだけは、あまり変わっていない。

最善の生き方は、自分に正直になること。
少なくとも、それだけは、
まだ手放していない。

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