2/27/2024

夜を無事に終える練習――山岡家にて


   ラーメン屋と牛丼屋が、どうにも苦手だった。
理由はいくつも思いつくが、結局のところ、落ち着かない。

椅子は固定され、隣との距離は近い。
皆、器に顔を落とし、ほとんど会話もなく食べ、
すぐに立ち去る。
その背中の流れを見ていると、自分まで
管理されているような気分になる。

二〇一八年頃から、酒の飲み方を大きく誤った。
家でも外でも歯止めがきかず、夜の舗道に顔から倒れ、
血を流したことも一度や二度ではない。
冗談ではなく、先に壊れるのは身体だと、
ようやく理解した。

それで、ある年の初夏から、
夜に飲む代わりに車を走らせるようになった。
目的地は決めない。
疲れたところで、名前だけは聞いたことのある郊外の
ラーメン屋や定食屋に入る。
苦手な場所に、わざわざ身を置くための運転だった。

山岡家に入ったのも、その流れだ。
「臭い」で知られる店だが、私には何も感じなかった。
先天的な慢性副鼻腔炎で、匂いについては
最初から信用していない鼻をしている。
限定の旨辛スタミナらあめんを、中盛りで頼んだ。
年甲斐もなく豚バラチャーシューを追加し、
薬味ネギも増やした。
器が大きく、そのままだと妙に間が抜けて見えたからだ。

結果、油は重すぎた。
スタミナをつけるつもりが、食後はただ疲れ、
西へ向かう予定をやめて、そのまま自宅に戻った。
これは店のせいではない。
若ぶった選択をした自分の問題である。

山岡家は、自宅から二十キロ以上離れている。
近所にないから、行くこと自体が小さな旅になる。
苦手だったカウンター席にも、少しずつ慣れてきた。

店内には、バッグを置く場所がない。
その不便さへの対処として、カラビナ付きの
小さなポーチを使っている。
スマートフォンと決済手段だけを下げる。
驚くほど、身軽になった。

昨年は花月嵐にも通った。
だが、あまりに近所すぎる店は面白くない。
知っている風景は、自分を映さない。
磐田や藤枝まで車を出した。

ひとりで山岡家に入ることが、ようやく恐怖でなくなった。
それは「おひとり様がサマになる時代」だからではない。
ただ、飲まずに帰れる夜が増え、
身体が静かになっただけだ。

今も完璧ではない。
調味料の使い方も、まだよく分からない。
それでも、血を流さずに夜を終えられるなら、それでいい。

ラーメンを食べに行っているようで、
実際には、生活を続けるための練習をしているのだと思う。

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