夜霧よ今夜もありがた迷惑
昨日、ほんの出来心で、ひとり小さな旅に出た。
暮らしの地図からぽっかり抜け落ちていた
神奈川県茅ヶ崎市。
行く理由は単純だった。
数字の誘惑──還元率25%。
金額にしてみれば大したことはないのに、
その端数の輝きが、知らない街へ背中を押してくる。
冬の茅ヶ崎は、観光の賑わいも眠りについているらしく、
通りを吹き抜ける海風だけが旅人を相手にしていた。
買い物を済ませ、「そよら湘南茅ヶ崎」やガストに立ち寄り、
海の気配を少しだけ肺に入れたところで、
帰途につくことにした。ところが、夜の茅ヶ崎は機嫌が悪かった。
放置された自転車が将棋倒しになるほどの強風。
季節外れの生ぬるさが、
首筋から背骨へじとりと入りこむ。
軽自動車の車体は横殴りに揺れ、
これから越える山の気配が、胸の奥でざらつき始めた。
その胸騒ぎは、箱根新道に差し掛かったところで、
確信に変わった。
西湘バイパスを抜けた途端、濃霧が前触れなく落ちてきて、
世界は乳白色の袋のなかに詰め込まれた。
フロントガラスは曇り、
道路と奈落の境目さえ見えない。
頼りにしていたアダプティブ
クルーズコントロール(ACC)は沈黙し、
速度もレーンも、自分の感覚だけに預けるしかない。
名も知らぬカーブが次々と、
こちらの覚悟を試すように現れる。
視界ゼロ、独りぼっち。
それでも、愛車だけは傷ひとつ負わせたくないという
ささやかな意地が、拳とハンドルを結びつけていた。
「夜霧よ今夜も有り難う」だなんて、
口が裂けても言えない。
霧はただ、こちらを飲み込もうとするだけだ。
ありがた迷惑にもほどがある。
ようやく富士川SAへ転がり込んだとき、
エンジン音が止むのと同時に、
指先から緊張がこぼれ落ちた。
決して好きではない夜景が、
そのときばかりは、
「帰ってきた」という事実を
そっと照らし出していた。数字に釣られて旅に出た夜だったのに、
最後に残ったのは、
生きて帰ることの確かさだけ。
あの濃霧の箱根八里のことは、
きっと割引より長く覚えている。
ラベル: 長い文章





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