涙くん、またね。—Goodbye Mr. Tears 再考
このところ、ずいぶん息苦しい世の中だな、
と苦笑いしながら日々をやり過ごしている。
気がつけば、人生の終い方なんて言葉が、
ふと頭の端をかすめる歳にもなった。
図々しく生き延びてきたせいか、
世の中の癖のようなものが妙によく見える。
人の顔つきひとつで、その日の機嫌や
性格の襞が、なんとなく分かってしまう。
ありがたくもない感覚だけが、静かに研ぎ澄まされていく。
若く、どこか光をまとった女たちが、
ときどきふっと冷たい表情を見せるのは、
きっと今を全速力で生きている証しなのだろう。
その眩しさの裏で、こちらの歳の重みが、かすかに軋む。
ただ、選挙の候補者写真だけは、どうにも馴染めない。
最新のアプリで磨かれた顔ほど、
その奥にある計算が妙に透けてしまう。
誰に一票を託すか迷っているうちに、
日曜は気づけば少しくたびれている。
これもまた、現代の通過儀礼らしい。
そんな折に思い出すのが、坂本九さんだ。
会ったこともないのに、
「この人はきっといい人だった」と、なぜか疑えない。
声に宿る清らかさとは、こういうものなのかもしれない。
けれど今日、耳にした「涙くんさよなら」は、
九さんではなく、ジョニー・ティロットソンの歌声だった。
抑制のきいた、肩の力を抜いた歌い方。
初めてこの曲を好きになったときの感覚が、
そっと戻ってくる。
ひとりハモりの妙技も、歳月を経たいま聴くと、
なおさら胸に沁みる。今のカラオケには九さんのヴァージョンしか
残っていないけれど、当時のヒットが
ジョニーだったという話にも、不思議と納得がいく。
涙くんは、別れを告げて去っていく存在ではない。
忘れたころに、ひょいと戻ってきて、
肩先にそっと触れてくるようなものだ。
そんな夜が、たまに訪れてくれれば、それで十分だと思う。
ラベル: 好きな音楽

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