マドモアゼルな僕
恋愛という言葉に、どこか胡散臭さを
覚えるようになったのは、いつ頃のことだったろう。
それでも昔の僕は、信じることで
どうにか自分を保っていた気がする。
昭和の終わり、少女漫画誌の片隅に
ラピスラズリの広告があった。
「これを身につければ、素敵な恋人ができる」─。
そんな一文に、高校生だった僕は
あっさり釣られてしまった。
同じ頃の男性誌には、切手だけで届く
「透視メガネ」なんて、さらに怪しい品も載っていた。
今思えば笑ってしまうけれど、あの時代の広告には、
現実と妄想の間をゆるく曖昧にするような力があった。
その空気に押されるようにして、僕は星形の
ラピスラズリを注文した。
十数年前、その話を勢いのまま文章に書いたことがある。
久しぶりに読み返すと、少しこそばゆくて、
それでもやっぱりどこか愛おしい。
文化祭の奇跡をラピスに託していた高校生の自分。
変わらず濃いブルーの石とは裏腹に、
季節の方だけが静かに過ぎていった。
今思えば、変わったのはラピスよりも、
僕の方だったのだろう。
もうあの頃みたいに、無邪気に「恋の予兆」なんて
信じられないけれど。
それでも、ときどき昔の文章を引き出しから
取り出して読むと、
ブルーの石みたいなひんやりした懐かしさが、
胸のどこかに残る。
マドモアゼルな感性のまま、
少しだけ大人になりきれなかった頃の僕として。
ラベル: 長い文章

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