武田節と屋形通りの朝
深夜二時、スマートフォンの地図を何気なく開いた。
山梨県を目的地にすると、
甲府までの所要時間が、思いのほか短い。
短すぎて、少し拍子抜けした。
七月の名古屋以来、久しぶりの県外。
思いつきのようでいて、
布団に戻る気にもなれなかった。到着は朝五時。
屋形通りのあたりは、人の気配がなく、
鳥の声もまだ遠い。
早起きというより、夜更けの続きだった。
石畳に足音を落とすと、
それだけで音が立つ。
誰かに見られている気がして、
歩調をひとつ落とした。神社の境内に、
武田菱がいくつも刻まれている。
理由ははっきりしないが、
少しだけ背筋が伸びた。武田通り、屋形通り。
地名だけが、先に時間を知っている気がした。
「お屋形様」という呼び名が、
この街では、
まだ普通の言葉として残っている。駿河にも、
屋形町という地名がある。
似た名前を思い出しただけで、
勝手に親近感が湧いた。昔、山梨へはバイクで来た。
車は少し怖かった。
バックができなかった。
後ろに下がるだけのことが、
どうしても身体に入らなかった。
渋滞しても、バイクなら前に進めた。
駐車で迷うこともない。
ただ、夏の暑さだけは別だった。
逃げ場がなく、
あれは、たしかに地獄だった。
この歌を教えてくれたのは、
もういない叔父だった。
詩吟を嗜む人で、
声に妙な説得力があった。
乾いた歌声が、
朝の甲府に、よく合う。
武田節が流れると、
街が、少しだけ近づく。
歴史の中心ではなく、
その縁に立って、
しばらく立ち止まっていた。
ラベル: お散歩写真機






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