8/28/2023

夏の残響とビーチ・ボーイズ

 ビーチ・ボーイズと聞いて、
日本のドラマを思い浮かべる人もいるだろう。
けれど、ここで話したいのは、
言うまでもなく、あの合衆国のバンドのことだ。

好きだった音楽を思い返すと、
記憶はたいてい、季節の匂いを連れてくる。
私にとってビーチ・ボーイズは、
二十代最後の夏の端に残った、かすかな残響である。

あの年の夏、西伊豆へは、
ただ海水浴場に行くためだけに車を走らせた。
その少し前には、地元・静岡の安倍川で花火大会があり、
友人の恋の成就をきっかけに集まった男女七人で、
短い季節を分け合った。

当事者でもない私の記憶にまで、
あの夏の温度はなぜか均等に残っている。
その熱の中で耳にした音楽が、
あとから静かに沁み込んできたのだと思う。

正式な出会いは、美容院だった。
鏡越しにぼんやりと聴こえてきた一曲が、
妙に気になった。
ほどなく迎えた花火の夜や海の日の記憶に、
その旋律は不思議なくらい自然に重なった。

軽やかなのに、どこか翳りを含んだメロディ。
店員に尋ねると、
「パンチで行こう」という邦題の
When I Grow Up (To Be a Man) だという。

英語の意味までは追えなかったが、
幾重にも重なるコーラスと楽器の色合いが、
胸の奥でゆっくりと響いていた。

パンチで行こう ─ When I Grow Up (To Be a Man)

帰り道に寄ったCDショップで、
「ザ・ビーチ・ボーイズ・トゥディ」(1965)
を手に取った。
試聴もできない時代で、
ほとんど勘だけを頼りに選んだ一枚だったが、
再生してみると、不思議なくらい外れがなかった。

とりわけ心に残ったのは、
Good to My Baby、
Don’t Hurt My Little Sister、
Please Let Me Wonder、
そして She Knows Me Too Well。

どれも、ただ雰囲気がいい。
理由を探すほどでもなく、
それで十分だった。

グッド・トゥ・マイ・ベイビー ─ Good to My Baby
元気をお出し ─ Don't Hurt My Little Sister
プリーズ・レット・ミー・ワンダー ─ Please Let Me Wonder
知ってるあの娘 ─ She Knows Me Too Well

八月の終わりに聴くと、いっそう似合う。
最近のドライブでも、このアルバムは
いつも助手席に座っている。
難点があるとすれば、
三十分ほどで終わってしまうことくらいだ。

だから、ときどき
California Girls や Wendy を継ぎ足して、
夏の余白を少しだけ引き延ばす。

ウェンディ ─ Wendy

音楽を聴く環境は、
昔よりずっと便利になった。

けれど、あの夏の海の匂いと一緒に流れてきた
ビーチ・ボーイズの音だけは、
今でも変わらず、
自分のどこかで静かに鳴り続けている。

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8/26/2023

嵐げんこつらあめん──藤枝の夜に


   木曜の夜、藤枝まで車を走らせた。

この夜は、銀次郎ではなく、嵐げんこつらあめん。

風呂あがりだったこともあり、
食べれば汗をかくのはわかっていた。
それでも、胃にジャンクなものを
落としたい衝動のほうが勝った。

案の定、汗は止まらない。
小さなハンカチでは追いつかず、
それでも後悔はしなかった。

蒸し暑さが続く夜だった。
辛いものは好きだが、湿気には弱い。
そのくせ、壺ニラもやしを二人前頼んでいる。
最初は素のまま。
次に胡椒。
秘伝のタレ。
にんにく三片。
このあたりで、汗は限界だった。
肝心の壺ニラもやしを
入れ忘れていたことに気づいたのは、
もう終盤だった。
空腹に押され、
猫舌のくせに早食いしてしまったせいだ。
量は、少なく感じた。
胃より先に、気分のほうが満腹になっていた。

ラーメン屋にいると、
いつもどこか、身体の置き場が決まらない。

それでも最近は、
避けていた場所に自分から足を向けている。
理由はよくわからない。

この夜は「ぶためし無料」を使ったが、
腹は完全には満たされなかった。

ただ、七百八十円で済んだ、という数字だけは覚えている。

夜明け前の空気を吸い込みながら、
朝風呂に入って、もう一度眠り直すのも悪くないと思った。

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8/22/2023

休肝日2日目


   二日続けて、酒を飲んでいない。
自分でも、少し意外だ。
ここしばらく、飲んだり休んだりを繰り返していた。
「今日はこのくらい」
そう思って缶を一本空けたところで、
急に足元が怪しくなった。

用を足しに立ち上がっただけなのに、
身体がふらつく。

その直後、Apple Watchが心拍数の警告を出した。

──今日はもう無理だな。
そう思って、残りには手を伸ばさなかった。
それ以来、冷蔵庫にはコーラと烏龍茶しかない。
不思議と、それで足りている。

一年前、9%の缶を何本も飲んだ帰り道で、
前のめりに転び、アスファルトと正面からぶつかった。

顔は血だらけだった。
運が悪ければ、そこで終わっていてもおかしくなかった。

免許更新が近く、
「この顔で写真を撮るのか」と
本気で青くなったのを覚えている。

幸い、少し前に撮っていた証明写真があり、
それで切り抜けた。

あれがなければ、どうなっていたのだろう。
思い出すたび、背中が冷える。
治療を始めたのは、
去年の誕生日をきっかけにしている。
記録をつける生活を、なんとか続けてきた。

今回、たった一本で身体が警告を出したことで、
ようやく腑に落ちた。

昔、「%」はアルコール度数の数字だった。
今は違う。
消費税だとか、割引率だとか、
そういう数字のほうが今の自分には現実的だ。

数学は苦手だし、将来のことを指摘された過去もある。
それでも、飲むための%ではなく、
暮らすための%をこれからは見ていきたい。
 
今日は休肝日、二日目。
この静けさを、もう少し続けてみようと思う。

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8/20/2023

007は二度死ぬ——東京の夢と、ボンドの不在

 アマプラに加入していて良かったと思う理由はひとつ。
ショーン・コネリー版のボンドが、
いつでも観られることだ。
月額の元なんて、それで十分に取れている
(気がしている)。

「ロシアより愛をこめて」と
「ゴールドフィンガー」は定番として、
テーマソングだけで選ぶなら、
ナンシー・シナトラの「007は二度死ぬ」
がどうしたって頭ひとつ抜けている。
あのイントロは、東京の夜に異様に似合う。
実在の東京ではなく、映画が夢見た——
少し湿り気を帯びた、どこか嘘っぽい東京。

肝心の内容は、正直言えば大味だ。
それでも、60年代の日本がカラーで息づくというだけで、
再生ボタンを押す価値はある。

TOYOTA2000GTのリトラクタブルライトは、
未来を覗き込もうとしている。
にもかかわらず、ボンドはハンドルを握らない。
助手席で涼しい顔をしているだけ。
それでも、あの車は間違いなく「ボンド」だった。

二人の日本人ボンドガール。
ただならぬ気配。
演技なのか、時代の磁場なのか。たぶん、その両方。

この映画を観るたびに思う。
東京という都市は、一度死んで、また蘇る。
そのたびに姿を変え、少し大げさな夢をまとって。

スクリーンの向こうで、何度も生き返り続ける街。
僕はほとんど行かない。
というより、行けないままの東京を、
どこかで手離したくないのかもしれない。

ボンドが二度死ぬなら、
東京は、何度でも夢の中で生き返る。
少し嘘くさく。
そこがまた、いい。

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武田節と屋形通りの朝


   深夜二時、スマートフォンの地図を何気なく開いた。
山梨県を目的地にすると、
甲府までの所要時間が、思いのほか短い。
短すぎて、少し拍子抜けした。

七月の名古屋以来、久しぶりの県外。
思いつきのようでいて、
布団に戻る気にもなれなかった。
到着は朝五時。
屋形通りのあたりは、人の気配がなく、
鳥の声もまだ遠い。
早起きというより、夜更けの続きだった。
石畳に足音を落とすと、
それだけで音が立つ。
誰かに見られている気がして、
歩調をひとつ落とした。

神社の境内に、
武田菱がいくつも刻まれている。
理由ははっきりしないが、
少しだけ背筋が伸びた。
武田通り、屋形通り。
地名だけが、先に時間を知っている気がした。
「お屋形様」という呼び名が、
この街では、
まだ普通の言葉として残っている。
駿河にも、
屋形町という地名がある。
似た名前を思い出しただけで、
勝手に親近感が湧いた。
昔、山梨へはバイクで来た。
車は少し怖かった。
バックができなかった。
後ろに下がるだけのことが、
どうしても身体に入らなかった。

渋滞しても、バイクなら前に進めた。
駐車で迷うこともない。
ただ、夏の暑さだけは別だった。
逃げ場がなく、
あれは、たしかに地獄だった。

三橋美智也の「武田節」を思い出した。
この歌を教えてくれたのは、
もういない叔父だった。
詩吟を嗜む人で、
声に妙な説得力があった。
 
乾いた歌声が、
朝の甲府に、よく合う。
武田節が流れると、
街が、少しだけ近づく。
 
歴史の中心ではなく、
その縁に立って、
しばらく立ち止まっていた。

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銀次郎と、ぶためしの午後


   まず、丼が運ばれてくる。
肉増しの姿は妙に威風堂々としていて、
しばらく眺めていたくなる。

スープを蓮華ですくう。穴の空いていない方で。
当たり前のことなのに、なぜか一度、確認したくなる。

最初は何も足さない。すっぴんの一杯を確かめる。
それから卓上の調味料に手が伸びる。順番は決めていない。
胡椒で輪郭が荒くなる。
ゆかりを散らすと、後味がふっと澄む。
意外だが、よく馴染む。
にんにくは三片。
少し欲張った。二片でよかったかもしれない。
その小さな後悔も、この丼の一部だ。

終盤、酢を落として軽くする。
最後まで、気分が少しずつ動く。
そして、ぶためし。
無料の選択肢が並んでいても、迷わずこちらを選ぶ。
残った壺ニラに一味と酢。
小さな丼が、きちんと一品になる。

勘定は1,020円。
安さよりも、「きちんと味わった」という手応えが残る。

この「ただ」を思い出すたび、また行きたくなる。

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