10/25/2021

サイゼリヤの復権


   緊急事態宣言が解けたその日、
私が真っ先に向かったのはサイゼリヤだった。
あの安ワインを、店の空気の中でまた飲める──
それがどれほどの喜びだったか。

二か月ぶりの酒だ。
家で飲んでも悪くはない。
けれど、外で飲む一杯のあの微かな緊張、
うっかり何か失敗してしまうかもしれない、
あのざらついた感覚こそ、私には必要だった。
席に着くや、迷わずハウスワインを頼む。
サイゼリヤでは、これを飲まなくては始まらない。
合わせるのは、爽やかにんじんサラダと
柔らか青豆の温サラダ。
オレンジと緑が赤ワインに寄り添い、目にも鮮やかだ。
──こういう幸福の形もある。
さらにカリッとポテトを追加し、
締めにはペペロンチーノ。
「アーリオオーリオペペロンチーノ」と
会話で正式名称を言い切る勇気だけは、
まだ手元にない。

こうして、二か月ぶりの
ひとりサイゼ宴は静かに幕を閉じた。
普通の居酒屋よりずっと安く、
きちんと満たしてくれる。
やはり、この店が好きだ。

注文用紙にボールペンで書く、
あの少し古めかしい方式だけは、
時々笑ってしまうけれど。

そういえば、
「サイゼリヤ」を「サイゼリア」と
間違える人が意外に多い。
なぜなのだろう。
ワインのグラスを指先で回しながら、
ふと考え込んだ。

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10/23/2021

体温と体温計


   新型コロナのワクチンを打った。
モデルナ製ということで、

発熱の可能性が高いと事前に聞かされていた。

念のため、体温計を用意する。

オムロンの「けんおんくん」─
測ると、体温はそのまま
スマートフォンに移っていくらしい。

体温というものは、
かつては口にすると妙に生活臭のする数字だった。
「熱がある」「少し高い」
その程度の曖昧さで済まされていたものが、
いまでは測定され、保存され、
グラフとして端末の中に並んでいく。

便利だと思う反面、少し行き過ぎている気もする。
身体の内側が、本人の感覚より先に整理されてしまう。

注射そのものの痛みは、ほとんどなかった。
翌日になって、腕が重たくなる。
試しに測ってみると、たしかに数字は上がっていた。

ただし、そこまでだった。それ以上は動かない。
身体が警告を発している一方で、
数字は驚くほど冷静で、
そこに余計な感情は入り込まない。

二回目はどうだろう。
数字は別の振る舞いを見せるのか。
それとも、今回と同じように、
淡々と記録されるだけなのか。

「けんおんくん」の面白いところは、
測定で終わらない点にある。

体温は、そのままiPhoneのヘルスケアに反映され、
日々の変化が一本の線になる。

私の身体は、私が意識するよりも先に、
時系列として並べ替えられていく。

今日の数値は、36.3℃。

平熱という言葉には、安心よりも先に、
静けさが含まれている気がした。

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10/22/2021

血は少し油っぽくなっただろう


   かつて、ラーメンは苦手だった。
麺がのびる前に食べねばならず、
ゆっくり会話を楽しむ余裕がない。
そのせわしなさが、どうにも性に合わなかった。
 
だが、友達がいなくなってしまえば話は別だ。
おしゃべりの相手がいなければ、
時間を気にせず、ひとりで食べるしかない。
そうなると、ラーメンは案外都合がいい。
 
そんな流れで、
このところすっかりラーメンの人になってしまった。

ある日、ふと入った家系の店がある。
小ぢんまりした店内は、二度訪れたが、
どちらもほぼ満席だった。
チェーン店らしいが、それはもう
気にする理由にならなかった。
十四日に食べたのは、豚骨味噌ラーメン。七百円。
 
スマートフォンを使えば早いのだが、
わざわざトートからオリンパス・ペンを取り出して撮る。
狭いカウンターで、少し無理な姿勢になりながら。
 
この店には、スープを飲み干すと
「まくり証明書」なる紙片をくれる仕組みがある。
身体によくないな、と思う。

それでも、結局は飲み干してしまった。
きっと、血は少し油っぽくなっただろう。
そして十九日、また同じ暖簾をくぐっていた。
その日は味玉ラーメン。八百円。

前回よりも幾分あっさりしていて、
苦労せずにスープを空にした。
罪悪感よりも、満腹の余韻のほうが残った。
 
気づけば、まくり証明書は二枚になっていた。
また近いうちに、一杯すすりに行くのだろう。

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10/11/2021

宇津ノ谷集落と大正のトンネルめぐり


   朝晩の空気だけが、かろうじて季節の移ろいを
知らせていた。
それでも日中の陽射しは、十月半ばとは思えないほど強く、
外を歩くことそのものを、まだためらわせる
力を残している。

しばらく、カメラを持って歩いていなかった。
久しぶりに外へ出ると、身体の重さが先にやってくる。
向かった先は、宇津ノ谷。
以前、明治のトンネルを訪ねたときと同じ場所だ。
旧東海道沿いに残る集落は、観光地というより、
時間の流れから少しだけ外れたような佇まいをしている。

四年ぶりの宇津ノ谷。
平日のせいか、人の気配はほとんどなかった。
観光客の姿も見当たらず、静けさだけが道に落ちている。
歩いているうちに、ひとつの変化に気づく。
かつて立ち寄った「お羽織屋」が、閉館していた。
陣羽織を眺め、
戦国の末期に思いを馳せた記憶が、ふとよみがえる。
今回は、建物の外観だけを写真に収めた。

旧東海道だったことを、静かに主張する風景を、
いくつか撮る。
石垣、道のうねり、家々の距離感。
派手さはないが、歩くほどに、感触が積み重なっていく。

もう少し涼しくなったら、蔦の細道を経由して、
少し長く歩いてみたい。

そう思いながらも、この日はマスクを着け、
やや早足で進んだ。
汗は、容赦なく噴き出してくる。
集落を抜け、大正のトンネルを目指す。
途中で、ひとつの廃墟に足を止めた。

「かまぶろ 丸子」——
かつては、ニュー銭湯の先駆けだったらしい。
役目を終えた建物は、
語らないまま、時間だけをまとって残っていた。

坂道が続き、山道に入る。
登りはきつく、呼吸も浅くなる。それでも、終点は近い。
一キロほど歩いたところで、
四年ぶりに、大正のトンネルと再会した。
入口は相変わらず、
周囲の緑に半ば飲み込まれるように口を開けている。

今回は、トンネルを抜けなかった。
車が、思いのほか速い速度で通り抜けていく。
排気ガスの匂いもあり、無理をする理由はなかった。
静岡市側から数枚だけ撮り、引き返す。
再び、明治のトンネルへ。
こちらは、天然の冷気が健在だった。
火照った身体を、ゆっくりと冷ましてくれる。
人工ではない冷たさが、ありがたい。

この日は暑さに気を取られ、撮影枚数は控えめだった。
カメラが本領を発揮するのは、
やはり晩秋から冬にかけてなのだろう。

それでも、シャッターを切らなければ始まらない。
撮らなければ、感覚は鈍っていく。

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10/01/2021

明治のトンネルへ


   九月二十九日。明治のトンネルへ、
少しだけ車を走らせた。
訪れるのは、二〇一七年の九月以来になる。

オリンパスのPEN E-P7を、少しでも使い込もうと思った。
理由はそれだけだ。
久しぶりに訪れたトンネルは、草がずいぶんと育っていた。
名前の刻まれた部分も、草に加えて苔が広がり、
ほとんど読めなくなっている。

前は、たしか読めた気がする。
一枚撮ってから、そっと内部へ足を踏み入れた。
昼間だったのが救いだった。
それでも、トンネルの中は相変わらず、少しだけ不気味だ。
ただ、空気はひんやりとしていて、
汗がすっと引いていくのがわかる。
照明を撮ってみる。
レンガの細かさが、静かに浮かび上がる。

外には、まだ夏の名残があった。
けれど、この空間だけは、すでに秋に入っている。

冬に来たら、きっと寒いのだろう。
実際に来たことはないが、そんなことを思った。
全長およそ二百メートル。ただ歩く。
風が、心地よかった。
そのままの気分で、静岡市側を抜け、藤枝市へ向かう。

藤枝市側のトンネルは、草の勢いも控えめで、
名前も、きちんと読めた。

それ以外に、特に書き留めることはない。

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