検索の渦と、赤ちゃんパンダの奇跡
気づけば、誰もが手のひらの光を見つめている。
電車の中でも、信号待ちでも、喫茶店でも。
電話という機能は、
いつのまにか隅へ追いやられた。
カメラ、アプリ、SNS。
主役はそちらで、声はおまけになった。
価格は年々ふくらみ、
広告は不安をそっと煽る。
持たなければ遅れる、という空気。
分割払いというやさしい顔の罠。
便利さのはずが、
どこか御節介で、
どこか息苦しい。
細かな文字と写真が、
休みなく流れ込んでくる。
選んでいるつもりで、
選ばされているだけなのかもしれない。
かつてのような、
人の手で整えられた入口はもうない。
あるのは、
機械が振り分ける無数の水路。
情報の渦の中で、
何を信じて、何をやり過ごすのか。
その仕分けだけで、
肩がこる。
額ににじむ汗のように、
うんざりが溜まっていった。
そんな検索の途中で、
ふと指が止まった。
パンダの赤ちゃんだった。
白と黒の、小さなかたまり。
それだけで、説明は足りていた。
疑う理由が、見つからなかった。
そこには意見も、誘導も、
何もまとわりついていなかった。
ただ、目に留まった。
情報の海にも、
ごく薄く、濁らない場所がある。
それは選ぶというより、
偶然、引っかかるものだ。
手のひらの画面の中にも、
まだ救いは残っているのかもしれない。
見つけるには、
少しの根気と、
ほんの少しの運がいるけれど。
ラベル: 長い文章
