8/11/2015

未完の腕時計


   本日、ようやくApple Watch Sportを手に入れた。

42mmのケースは数字の上では
大きいはずなのに、手首にのせてみると
意外に小ぶりで、存在を誇示するでもなく、
ただそこにある。

デザインは洗練とは言い難い。
素材の軽さもあって、どこか玩具めいている。

しかし、初代というものは、
往々にしてこうした未完成の相を帯びる。

iPodも、iPhoneも、最初に手にしたときは
同じように不安定で、物足りなさを抱え込んでいた。

だが、その不完全さの中にこそ未来を孕んでいたことを、
今となっては知っている。

この時計で感心したのは、利き手を選ばない柔らかさだ。

僕は左利きで右腕に時計を巻くのだが、
竜頭を左右どちらにでも設定できる仕様は、
些細に見えて実にありがたい工夫である。

ただ、肝心の使用感はまだ粗削りだ。
iPhoneをバッグにしまい込んだまま、
手首だけでアプリを操ろうとしても、思うようにいかない。

便利さは半歩先にちらつく程度で、今はまだ追いつけない。

それでも、悔いはない。
秋にはOSの更新が控えているという。
未完のままの時計に、またひとつ頁が加わるだろう。

道具として成熟する日は遠いかもしれないが、
その不確かさも含めて、
手首の上に未来を巻いたような心持ちがある。

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うま味の魔法に誘われて


   この広告の笑顔は、
人の弱いところを全部知っている顔だ。
どんな願いも叶えてやる──
そんな魔法を信じさせてくる。

AJINOMOTOをひと振りすれば、
人生まで美味くなる気がしてしまう。

今日のしずてつストアで見つけた
「マグロのカレー風味」─。
カレー粉の衣をまとった切り身は鮮やかで、
まるで祭壇に供えられた宝石のよう。
なのにラベルには、無情の「加熱用」──。

そのまま食べられないなら、はい撤収。
──でも、未練は尾を引く。

一人暮らし時代は、
「こてっちゃん」を焼けば祝杯だった俺が、
フライパンでソテーなんて上等なことを
一瞬でも考えるなんて。

今日の暗さを和らげてくれたのは、
ほかでもない──スーパーという楽園だった。

とはいえ、
中年男がひとりで徘徊している図は、
やっぱりどうあっても絵にはならない。

唯一の自慢は、
酒も買わず、何も買わずに店を出たこと。
誘惑に勝ったのか、
それとも手が届かなかっただけなのか。

でも、スーパーは天国だ。
気温も匂いも、明るさも、
僕の味方でいてくれる。

しずてつストアはおばさま方の社交場。
タイヨーのレジには若い笑顔。
棚ごとに撒かれた呪文のような香りを吸い込みながら、
少しだけ救われる。

ふと、豚レバーが目に入る。
もう生では食べられない禁断の愉しみ。
鳥レバ刺しで細々と続く店があると聞く。

盆の喧騒に紛れて、久しぶりに寄ってみようか。
魔法がまだ、少し残っているうちに。

明日もたぶん、何も買わない。
それでも、きっとまた行く。
魔法が切れないうちは。

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8/10/2015

腕時計をひとつ


   Apple Watchが登場して、三か月ほどが経った。
市場の熱もひと息つき、
いまでは店頭でも普通に手に入るようだ。
僕も、このタイミングで注文をした。

理由は、特別なものではない。
着信を見逃すのは仕事にも生活にも差し支えるし、
ポケットの奥で鳴るiPhoneより、
手首の上の通知のほうが確実だろうと思っただけだ。

出張が多い人ほどではないにせよ、
放浪じみた僕の生活でも、
一日の電池くらいは持つはずだ。

決め手になったのは、
家族全員がiPhoneを使うようになったことかもしれない。

もし周囲がAndroidばかりなら、
この時計は無用の長物だっただろう。

環境に強く依存する道具だという点で、
これは従来の腕時計とは、まったく性質が違う。

七年前、いち早くiPhoneを手にしたときも、
似たようなことを考えていた。

要不要を論じる前に、
試してみるほかない、という感覚だ。

新しいものは、
手にして歩き出してみないと、
価値も欠点も、なかなか見えてこない。

かつては夜の街に散らしていた金を、
いまは少し違う形で使っている。

その選択が正しいかどうかは、
まだ分からない。

ただ、刹那の昂ぶりより、
持続する関心のほうが、
いまの自分には意味がある気がした。
届いたら、淡々と使ってみるつもりだ。

未来の自分が、これをどう評価するのか。
それを確かめるのは、
楽しみでもあり、
同時に、ほんの少し怖くもある。

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8/08/2015

立秋ショボクレ日記──湿った午後にて


   すでに立秋だというのに、街には
まだ湿った夏が居座っている。
ほんのわずか──指先ほどの差だけれど、
風の手触りが少しやわらいだ気がした。
役に立つわけでもない感覚なのに、季節がふっと
呼吸を変えるその瞬間だけは捉えられる。

アジア・モンスーンの湿気は、昨日よりいくらかましだ。
とはいえ、西日本では今日も酷暑らしい。
湿度さえ低ければ、白い日差しと青い空、
濃い輪郭の入道雲──
子供の頃の夏の景色を、サングラス越しにもう少し
軽い気持ちで眺められたのだろう。

昨日の勉強会は、かなり堪えた。
履歴書と職務経歴書の書き方を三時間。学べば学ぶほど、
企業が求める特技なんて、自分には
何ひとつ備わっていないのだと突きつけられる。

採用のコツを聞くたびに、社会のどこかが小さく
「お前の席はない」
と告げているようで、いやな後味だけが残った。

今日から十六日まではお盆休み。
休暇に入る人たちの流れにまぎれて昼の街を歩ける。
無職という正体を照らす光が少し弱まる──
それだけで、今の僕には十分な救いだ。

昨日に続いて今日も酒はやめた。
飲めば翌日、自分をさらに追い込むのがわかっている。
午後。ラジオからクレージーの「ショボクレ人生」
が流れた。
笑い飛ばせる気分でもなく、むしろ自分の影を
薄く写し返されるようで、旋律がしつこく
耳にまとわりつく。

季節も、人も、街も、それぞれどこかで
ショボクレた調べを響かせている。
今日の僕も、その一節の片隅にそっと紛れ込んでいる
気がした。

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8/06/2015

国道ほうれい線──肌の衰え酷し


   人からよく、
マイペースだと言われる。
便利な言葉だと思う。
深入りせずに済むし、
こちらも説明しなくていい。

さっき雷が鳴った。
雨はまだ降らない。
アスファルトに残った熱だけが、
行き場を失っている。

家では冷房を使わない。
決まりというより、
習慣に近い。
その代わり、
立地だけは悪くない場所に住んでいる。
夏は、身体で払っている。

今年の暑さは露骨だ。
立っているだけで汗が落ちる。
不快だが、
汗をかくうちは、
まだ大丈夫だとも思う。

仕事を離れて、
一か月ほど経った。
会社が畳まれた。
それ以上でも、それ以下でもない。

時間はある。
使い道は、あまりない。
食欲も、性欲も薄い。
眠ることだけは、
問題なくできている。

明日は、失業手当の関係で、
履歴書の書き方を聞きに行く。
同じ立場の人間が集まる場所だ。

励まし合うというより、
互いの様子を確かめ合う、
そんな空気に近い。

同じく無職の知人から、
飲みに行こうというLINEが来ていた。
どちらも、
ついこの前まで同じ職場にいた人間だ。

二人とも、
特別に悪い人間ではない。
ただ、話の流れは想像がつく。

酒が入って、
「今は耐える時期だよな」と言い合い、
別れたあと、
「今日はありがとう」という
律儀な文面が届く。

そういうやり取りに、
今は少し疲れている。
だから、
「また今度」とだけ返した。

セミナーが終わったら、
まっすぐ帰るつもりだ。
ニュースを流し見して、
風呂に入る。
蚊取り線香を焚いて、
気が向けば、LINEを確認する。

何も来ていないかもしれない。
それでも構わない。

マイペースでいる、というのは、
好き勝手に生きることではなく、
これ以上、
余計な摩耗を増やさない、
というだけの話だ。

今日はそれで、
十分だと思っている。

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8/02/2015

義務だけがまっすぐだった日


   国民には三つの義務がある。
教育、勤労、そして納税。
その並びの中で、教育だけはもうずいぶん前に通り過ぎた。
ただ、その名残のようなものが、
今もどこかに残っている気がする。

今日、自分が確かに果たせたのは納税だった。
還元率のいいカードでnanacoにチャージして、
市県民税、国民健康保険、国民年金。
決まった額を、決まった場所へ。
淡々と、だが確かに納めた。

胸を張るほどのことではない。
それでも、義務をひとつまっすぐに果たせた。

勤労の義務も、いつかまた満たしたい。
働きたい。社会ともう一度つながりたい。
けれど求人は思うように見つからない。

日経トレンディの節約特集を読み、
運動で体力をつないで、年末をどうにか
越える段取りを考える。

ふと祖父母の言葉が、背中の奥でまだ温度を持っている。
「まじめに生きていれば、そのうち良いことがある」
夏の縁側、風鈴の影。
その光景だけは、今の暮らしにかすかに続いている。

権利の声が大きい世の中で、
せめて義務くらいはまっすぐに果たしていたい。
笑われても、古いと言われてもかまわない。
いまの自分には、それがいちばん自然な歩き方だ。

nanacoに少しだけポイントが貯まっていた。
その隣にある領収書が、
今日、僕が前へ進めた小さな証だった。

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