9/22/2014

指先の祭りと、気泡の哲学


   iPhone6が届いた。
街の熱狂とは無関係に、
ソフトバンクオンラインショップから、
静かに、確実に。

ショップの前に並ぶ気にはなれなかった。
そのかわり、僕は自宅で待った。
Tモール経由で予約すれば、
Tポイントが1,000円分もらえる。
たぶん、それくらいの理由で、
僕は祭りを傍観する側に回った。

SIMロック?
かかっていても構わない。
自由よりも、
整えるほうに興味があった。

フィルム、ケース、背面のウレタン。
気泡は盛大に入り込んだ。
ケースで隠れるなら、まあいい。

そう思っていたはずなのに、
裸のままケースを装着するのは、
どうしても落ち着かなかった。
だから貼った。
ウレタンを。
気泡も、そのまま。
Apple純正のレザーケース。
内側はマイクロファイバーで、
守られている、と箱には書いてあった。
それでも、僕は守りたかった。
背面を。
そして、たぶん自分自身を。

画面は4.7インチ。
少し大きくなり、
そのぶん薄くなった。
男の僕でも片手で持てる。
指先で操作できる。
この軽やかさは、
祭りの喧騒とは相性が悪い。

機種変更には、金がかかる。
フィルムとケースで、
ざっと1万円。
バカだな、と思いながら、
それでも僕は整えた。
整えることで、
祭りから距離を取った。
そうして、
僕は僕でいられた。

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9/21/2014

空のカップに、スマートフォンを挿す午後


   カップホルダーが、ずっと空だった。

缶コーヒーを飲む習慣もない。
カップ麺も食べない。
ラーメンは、僕の舌に合わない。
だから、車内に並ぶホルダーたちは、
無言のまま、僕を見つめていた。

今日、そこにスマートフォンを挿した。
カップホルダーに固定するタイプの、車載ホルダーだ。

ようやく、僕の車に意味が生まれた。
両面テープでも吸盤でもない。
取り外しも容易で、
知り合いの車にも、そのまま使える。
一個あれば、事足りる。
それが、理想というものだ。
五年前から、
スマホを車内に置きたいとは思っていた。
けれど、どこかで
「置くこと」そのものに、
意味を見出せずにいた。

それが今日、
空のカップの代わりに、
スマートフォンが挿さった。

午後の光が、ダッシュボードに落ちる。
ホルダーは、静かにスマホを支えている。

このホルダーは便利だ。
けれど、便利という言葉では足りない。
それは、空白に意味を与える装置だ。

無用の長物だったカップホルダーが、
ようやく役割を得た。

それだけで、
車内の構造が、少しだけ整った気がする。

都市の余白に立つ僕は、
今日、車内の余白を埋めた。

それは、ささやかながら、
確かな変化だった――
……なんてな。

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9/16/2014

月を待つベランダ、レザーの手触り

 Appleから届いたiPhone6のレザーケースを手にした瞬間、
思いのほか大きなその存在感に、眉が上がった。
かつては掌に吸い付くようだったスマートフォンが、
いつの間にかポケットの領分を飛び出したらしい。

世間では6 Plusが人気なのだという。
あれを片手で操る未来を、僕にはまだ想像できない。
無理に機種変更などしないほうがよかったかもしれない──
そんな弱気が背中をかすめる。
最新機能? 今夜の僕には関係ない。
光沢だけが先走る画面を眺めていたら、
不意に、どうでもよくなった。

ベランダに出て、月を探す。
だが、夜空は雲にくぐもっている。
湿気を含んだ暗さが、ビルの輪郭をぼかしていく。
その上に、沈黙した月だけがいる。

今年は171年ぶりに三度、名月を観られるという。
9月8日は逃した。次は10月6日、十三夜。
その夜、ここで静かにカメラを構える。
それだけで、この秋に意味が生まれる。

夏の歓びは、どこか不埒で喧しい。
秋の歓びには、静かな呼吸がある。
僕は、そういう季節に少し救われる。

ムーン・リバーを流す。
ヘンリー・マンシーニの旋律が、
雲の上にある輪郭を、ひそやかに照らす。

映画の中のオードリーは、
秋服が似合いすぎて、ため息を誘う。
真似をしてみよう、とは言えない。
けれど、その気配だけは盗めそうだ。

彼女の装いは、秋のヒントにもなる。
服に無頓着な僕が言うのだから、
なおのこと信用してほしい──なんて。

レザーの手触りを確かめる。
掌の温度がじわりと移る。
見えない月の光が、
ゆっくりと滲んでくる。

 *

雲の向こうで、
月だけが僕を待っている。

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9/04/2014

図々しさの刃先で身を整える


   カラオケで谷啓の「図々しい奴」を入れると、
だいたい誰かがトイレに立つ。

場の空気が、するりと遠ざかっていく。
僕だけが、なぜか妙に高揚している。

身体のどこかが勝手に景気づいてしまう。
こういうところが、つくづくバカだと思う。

谷啓さんの歌が讃えるのは、押しの強さ──
人生をぐいと切り開く、あの図々しさだ。
けれど僕は、押す前にすぐ引いてしまう。
議論にも、世間にも、女性にも。
どうにも治らない、それが一番悔しかったりする。

剃刀にも負けっぱなしである。
せめて見た目くらいは整えようと、
朝の洗面台でトリマーを握る。
眉は六ミリ。眉間の陰りを淡くする。
口髭は三・五ミリ。
顎は四ミリ。二重顎の輪郭をなぞるように。
数字を味方につけて、強気の形だけ整える。

整えるとは、弱さの手入れだ。
見えないところほど、丁寧に。
やっぱり僕は、図々しくはなれない。
だから今日も、整える。

ウェブログの文章だけは、どうにも整わない。
いつもどこか散らかっている。
でも、それでいい。

谷啓さんの「ヤレヤレヤレェー」は、
整わない人生そのものへ向けた、
ゆるい喝采に聞こえるから。

トリマーの微かな振動を感じながら、
図々しさの刃先が、今日も見当たらない。

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