フェイスブックという薄膜
携帯が鳴る。
誰それがFacebookを始めた、という通知。
顔は知っている。
だが、友人ではない。
登録されたメールアドレスが、
勝手に関係性を生成する。
電話帳の情報が、
音もなく吸い上げられていく。
Facebookは、そういう場所だ。
足跡は残らない、と言われている。
だが、気配は残る。
来てほしくない人ほど、
なぜか頻繁に現れる。
その距離の近さが、どうにも苦手だ。
なぜ、これほどまでに疎ましく感じるのか。
非リア充だから、という理由も
たぶん少しはある。
だが、それ以上に、
軽度の監視と、
「いいね」による擬似的な承認の仕組みが、
肌に合わない。
2010年の春。
再会のための道具として使い始めた頃は、
確かに楽しかった。
だが、投稿は次第に薄まり、
写真に添えられる言葉は、
お新香のような添え物になった。
それでは、読む気も起きない。
コメントする理由も見つからない。
「ビジネス用だから」と言う人もいる。
だが、情報を投げるだけなら、
Twitterのほうがずっと素直だ。
それでも、Facebookは消さない。
懸賞に応募するためだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
この薄い距離感が、
今の自分にはちょうどいい。
ラベル: 長い文章




