3/31/2013

「シー・シー・シー」──奥歯に残る昭和のグルーヴ

 その音は、
昭和43年の街角に差し込んだ音、
というより、
そこに元からあったノイズのようだった。

ザ・タイガース「シー・シー・シー」──。

若い人は「静かにして」と受け取り、
ある程度の年齢になると、
なぜか奥歯の感触を思い出す。
画面の中で、
若き岸部修三――のちの岸部一徳が、
ベースを抱えて立っている。

主役というほど前には出ていない。
だが、音だけは確かにそこにある。

指先が弦に触れるたび、
時代の埃が少しだけ浮き、
すぐにまた沈んでいく。

ドラムの瞳みのるに
ピントが合いきらない。
それも含めて、
そういう映像だった。

若い岸部は、
今ほどの渋みも、
俳優としての顔も、まだ持っていない。

それでも、
ベースを弾いているその瞬間だけは、
不思議と目が離れない。

今の岸部一徳は、
軽さと重さの両方を知った
ちょうどいい大人になった。

そこに憧れというほどの感情はない。
ただ、
こういう立ち位置もあるのだと、
静かに確認している。

ベースギターを買うかどうかは、
正直どうでもいい。

あの音と音の間に
身を置くことができれば、
それで十分だ。

「シー・シー・シー」は、
今もどこかで鳴っている。

都市の奥歯に、
まだ少し残ったまま。

ラベル:

3/30/2013

髪を少し削る日


   このところ、七年前の自分の面影を追いかけていた。
中性的だった頃の輪郭を思い出しながら、
毎朝、剃刀で顔をつるつるにしていた。

けれど、どう考えても無理があった。
七年前には、戻れない。

左の耳の奥に、やけに主張の強い毛が生え、
鼻毛には白いものが混じり、
眉毛は、いつの間にか二センチを超えていた。
男性ホルモンという名の現実が、
いよいよ無視できない音量で話しかけてくる。

無精髭は一度やめていたが、また伸ばすことにした。
同時に、しばらく封印していた前髪も復活させた。
ぱっつん、と言うには少し照れがあるが、
要するに、若作りをやめるための若作りだ。

結果として出来上がったのは、
少し怪しい中年の顔だった。
清潔感よりも、居直りが前に出る。
否定はしない。
むしろ、狙ってそうした。

日曜の午後、
郊外の大型店でよく見かける人たちがいる。
妙に派手で、力の抜けた服装。
年齢とテンションが、どこか噛み合っていない。
正直、以前は距離を取りたかった側の人種だ。

だが、気づけば自分も、
年齢的には完全に同じ場所に立っている。

だったら、いっそ逃げない。
若く見せる努力より、
「今の自分」に似合う怪しさを選ぶ。

いつか、髪も白くなるだろう。
そのときは、そのときでいい。
全体的に白くなってからのほうが、
かえって正直かもしれない。

若ぶるのは、そろそろ終わりにする。
楽になる理由が、ようやく分かってきた。

ラベル:

3/24/2013

列車苦役 鑑賞メモ


   一言で言えば、
後味の悪い映画だった。

「あんたは恵まれている。
覗き見趣味で来る場所じゃない」

──たぶん、作者にそう言われるのだろう。
それでも、そう感じてしまった。

人生が、どこか似通っているからだ。
苦笑まじりに受け取るしかない。

そもそも、
小説原作の映画で
「これは傑作だ」と思えた経験が、
僕には一度もない。
頭の中で育てた映像とのズレが、
どうしても埋まらない。

今回も、例外ではなかった。

この映画を観るまでには、
少し時間がかかっている。

昨年の夏、
女性と映画を観る機会があった。
候補に挙がったのは
「苦役列車」と「ヘルター・スケルター」─。

結果的に選んだのは後者だった。
正直に言えば、
苦役よりも裸の沢尻を観たい、
というミーハーな判断だったし、
レディーファーストという
都合のいい言い訳もあった。

結果は、悪くなかった。
あの夏のひとときは、
ありきたりだが、楽しかった。

その反動もあってか、
今日になって、ようやく
独りで『苦役列車』をレンタルした。

郊外のレンタル店までママチャリで行き、
一枚だけ残っていたケースを、
妙に素早く手に取る。
万引きでもするような気分だった。

三日風呂に入っていない身体の酸味や、
散らかった部屋のことも、
そのときは気にならなかった。

……で、観た。

やはり、原作とは決定的に距離があった。

原作を読んでいない人に、
この映画を勧めるべきではないと思う。
不幸中の幸いは、
以前勧めてしまった相手が、
原作を読んでいたことだ。

この映画は、
ネオンの街に出ても、
独りでコップ酒をあおるような作品だ。
デート向きでは、決してない。

ただ、良い点もあった。

原作では好きになれなかった
日下部という人物が、
映画では妙に「いい奴」として描かれていた。
それを見て、
男の友達が欲しくなる自分に気づいた。

また、
映画版の貫太と、
過去の自分が重なる部分もあった。

他人との距離が測れず、
変に嫉妬し、
勝手に踏み込み、
勝手に傷つく。

それは、
過去に自分がやらかした失態と、
はっきり重なっていた。

SNSは、
現代のバーチャルなコンパだ。
距離感を誤る人間にとっては、
危うい場所でもある。

実際、僕はかつて、
mixiで空気の読めない振る舞いをして、
総スカンを食らったことがある。

だから思う。

この映画は、
「読むのは困難で、
吸うのは容易な空気」の危うさを、
容赦なく突きつけてくる。

過去の失態と、
今日この映画を観た行動。
その二つが重なったからこそ、
ここまで考えてしまったのだろう。

とにかく、
図々しい勇気で突っ走っていた
過去の自分に、献杯。

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ちいさな希望の匂いのする方へ


   僕はたぶん、少数派の側に立っている。
ものの見方が、ほんの少し斜めにずれているらしい。

それでも「晴れと雨、どっちが好き?」と聞かれたら、
迷わず晴れだ。
光に照らされた影の輪郭が、どうにも好きなのだ。

もちろん、雨が好きな人の感覚もわかる。
雨だけがこちらの沈黙に寄り添ってくれる日がある。
それを「変わってる」と片づけてしまうには、
少しもったいない気がする。

最近はとくに、こんなふうに考える。
「あ、この人ちょっと苦手だな」と思っても、
すぐに心の鍵をかけきらないこと。
ほんの指一本ぶん、隙を残しておけば、
後で助かるのは案外こちらのほうだ。

いい大人というのは、
相手を測りきったふりをしない人のことかもしれない。
静かで、折に触れて優しい。
できれば僕も、そうありたい。

とはいえ僕にも、雨に救われる時がある。
諦めが漂う休日や、
熱に浮かされて横になる午後。
屋根を叩く音が、神経のざらつきを撫でていく。

さて今日は、市議会議員選挙。
多数派のお祭りである。

誰に入れようか。
いまひとつ決め手がないので、
顔で選ぶことにする。

──さようなら。

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使い古しの端末が、もう一度声を持つとき──commという静かな革命──


   流行の波に乗り遅れたアプリが、
ある日、生活の風景を静かに変えることがある。

「comm」と聞いて、
すぐに思い浮かぶ人は多くないだろう。
少なくとも、僕のまわりでは誰も使っていない。

LINEが席巻するこの時代に、
commは、路地裏にひっそり残る喫茶店のような存在だ。
目立たないが、
一度入ると妙に落ち着く。

そんなcommが、
先日のアップデートで、少し面白い変化を見せた。
ひとつのアカウントで、
複数の端末を同時に使えるようになったのだ。

古い端末を手放せずにいる者にとって、
これは、はっきりとした変化だった。

たとえば、使い古したiPhone 4。
回線契約は切れているが、
Wi-Fiさえあれば、まだ役目は残っている。

自宅では無線につなぎ、
外ではポケットWi-Fiを持ち歩く。
それだけで、通話は成立する。
iPadでも、iPod touchでも、
同じアカウントが、そのまま使えた。

Wi-Fi越しの通話品質も、
思ったより悪くなかった。

この変化は、
端末の寿命を延ばす、という話だけではない。
使われなくなっていた機械に、
もう一度「声」の居場所を与える。

SoftBankのホワイトプランでは、
通話料が積み重なる。
docomoユーザーが多い環境では、
キャリアの違いが、
そのまま会話の距離になることもある。

commは、その壁を越える。
無料で、静かに、確実に。

もちろん、LINEの存在感は圧倒的だ。
もし同じことが、
最初からそこにあったなら、
多くの人は迷わずそちらを選ぶだろう。

それでも、
流行の陰でcommのようなアプリが、
使い古しの端末に、
もう一度役割を与えている。

それは、
都市の片隅で、
気づかれないまま灯りがともるような、
控えめだが、確かな美しさだ。

ラベル:

3/23/2013

引きこもりの春、術後


   背中にできた皮下腫瘍の摘出手術は、無事に終わった。

問題は、そのあとだった。
麻酔が切れると、鈍い痛みがじわじわと広がる。
ズキズキというより、逃げ場のない不快さ。
さすがに、酒でごまかせる類のものではない。

医者からは、当日は風呂に入らないようにと言われていた。
それ自体は大した制限でもない。
むしろ、面倒を一つ免除されたようで、
どこか気楽ですらあった。

ところが翌朝、目が覚めてみると事情は違った。
布団の中に、うっすらと残る酸味。
皮脂のにおい。
自分の体が、自分のものでなくなったような感覚。

幸い、家にはシャンプードレッサーがある。
頭だけは洗えた。
それで、多少は持ち直したが、
根本的な解決にはならない。

思い返せば、若い頃に入院したときなど、
何日も体を洗わなくても平気だった。
不快ではあっても、気にはならなかった。

それが今は違う。
この状態の自分を、誰にも見られたくないと思っている。

どうやら、年齢と一緒に、
妙なところに色気だけが戻ってきたらしい。
便利すぎる時代に、慣れてしまったのだと思う。

清潔であることが当たり前になり、
不便や我慢に耐える筋肉が、すっかり衰えている。
それを情けないと思う気持ちもある。
同時に、もう引き返せないのだとも分かっている。

手術跡をかばいながら、
今日は静かに引きこもる。

春は来ているが、
外に出る理由は、まだ見当たらない。
今夜は、早く眠ろう。

ラベル:

久しぶりのiPhone5の話


   年月が経つのは、思っている以上に早い。
iPhone 5を手にしたのは、昨年の秋だった。
SoftBankでオンライン予約をして、届いたのは十日後。
気がつけば、もう半年以上が過ぎている。

容量は64GB。
今思えば、32GBでも十分だったかもしれない。
当然、端末代もそれなりだったから、
当時はずいぶん神経質になっていた。
傷をつけたくなくて、
保護フィルムやバンパーを、あれこれ買い漁った。

もっとも、ケースは昔からあまり好きではない。
3G、3GSの頃はケース派だったが、
4、4S以降はバンパー一択になった。
iPhone 5の側面はアルミだ。
ハードケースは、嵌めただけで削れることがある。
それがどうにも我慢ならなかった。

そんなふうに大切に扱っていたiPhone 5を、
三月のある夜、酔った勢いで落とした。
夜の繁華街、黒光りするアスファルトの上に。
一瞬、時間が止まった。

……が、無事だった。
バンパーが、きちんと仕事をしてくれた。

使っていたのは、
SPIGEN SGPのネオ・ハイブリッドEX。
シリコンとポリカーボネートの二層構造、サテンシルバー。
ただ、その衝撃でバンパー自体は瀕死だった。
もう役目を果たせそうにない。

ちょうどスリムタイプが出たと知り、
これを機に買い替えることにした。
色は同じ、サテンシルバー。
耐衝撃性は多少落ちているはずだが、
横から見たときの野暮ったさが消え、
iPhone 5の軽さと薄さが、はっきりと伝わってくる。
満足している。

もうこれで、
iPhone 5のアクセサリーは最後にしたい。

──さて。

落下現場となった夜の繁華街。
酒と会話と、過剰なテンション。
一時的に緊張がほどける、あの感じ。
以前は、それなりに楽しかった。
翌日には、「まあ、楽しかったな」と思えていた。

けれど最近は違う。
高揚のあとに、
急激なローテンションと自己嫌悪がやってくる。
正直、ひどく疲れる。
「ああ、楽しかったな」と、
素直に思えなくなってきた。

それは、以前にはなかった感覚だ。
こういう夜の過ごし方も、
そろそろ潮時なのかもしれない。

割れずに残った画面を見ながら、
そんなことを考えた。

飲みすぎには、注意しよう。

ラベル:

3/22/2013

端切れの記憶と、そら豆のかたち


   振り返ると、
思いもしなかった出来事が、いくつかあった。
引越し、転校、入院、手術。
それに加えて、場違いな告白をしてきた女性たちの存在。
からかいか、気まぐれか。
いずれにせよ、他人事だと思っていた出来事が、
砂鉄のように静かにまとわりついてくる。

結局、人並みの範囲に収まるのだろう。
苦く笑うしかない。

──さて、今日の話。

右肩甲骨のあたりにできた腫瘍を切除した。
伏臥位のまま数本の局所麻酔。
刺入のたびに、針の先が体内のどこかを探る。
意識はある。

局所麻酔は、どうも好きになれない。
とはいえ、全身麻酔を思うと、
筋肉注射の太い針の記憶が蘇って、気分が悪くなる。

これで五度目の手術だ。
その蓄積が、こうして愚痴めいた文章を可能にしている。

「痛かったら言ってくれ」

そう言われて身体が硬直する。
実際は、かなり痛んだ。
けれど黙っていた。
腫瘍は予想よりも深かったらしい。

「パチン」「ポチン」と糸の音。
裁縫されているような感覚。
十一年ぶりだ。

手術は一時間。
摘出された腫瘍を見せられる。
大きい。こんなものが体内にあったのか。
形は、旬のそら豆に似ていた。

「この部分が腐った肉だよ」

と言われ、なぜか少し恥ずかしくなった。
無防備な表情を見せてしまい、医師は鼻で笑った。

月曜日に創部の確認、金曜日に抜糸。
病理検査の結果もそのうち知らされるだろう。

初めての日帰り手術だった。
とはいえ、制約は多い。
入院のほうが、むしろ気楽かもしれない。
不謹慎だが、事実だ。

週末は安静に過ごす。
結局、これまでの入院と変わらない。
厄介さは、いつも同じだ。

ラベル:

3/21/2013

重たいiPadと、言葉の重み ──「みつをメーカー」で遊ぶ中高年の流儀


   顔文字と絵文字が、必要以上に明るい調子で飛び交う。
タイムラインを眺めていると、
言葉より先に感情が押し寄せてくる。
便利だし、悪気もない。

ただ、使いすぎると、自己主張の熱だけが残って、
読後に少し疲れることがある。

とくに中高年がそれを多用していると、
若さへの焦りや、承認欲求の残響が、
意図せず滲み出てしまうことがある。

そんな折に見つけたのが、
iOSの「みつをメーカー」だった。

短い言葉を、相田みつを風に整えてくれる。

スタンプ代わりにもなるし、
冗談とも本気とも取られかねない一文を、
少しだけ穏やかに着地させてくれる。

僕はあえて、軽いiPhoneではなく、
重たいiPadでそれを使った。

画面が広い分、
言葉の配置や余白が目に入る。

文字の位置を少し動かすだけで、
意味の重心が変わるのが分かる。

重さは、作業の手応えでもある。
軽さではなく、重みを選ぶ。
それは、言葉に対する態度の問題だと思った。

このアプリは、
若い人のように言葉を「盛る」ためのものではない。
誰かに響かせるためでも、
反応を稼ぐためでもない。
自分の中で、言葉を一度整えるための道具だ。

中高年には、もう「映える」必要はない。
誰にも届かなくてもいい言葉を、
静かに、確かに、画面に置く。

それだけで、
十分に手応えのある遊びになる。

──以上、もう中高年より。

ラベル:

3/17/2013

趣味:バレー─バレーとバレエの12時間


   二月の午後だった。
晴れているのか曇っているのか判然としない空の下、
社用車の給油に向かった。町のどこにでもある、
特徴のないガソリンスタンドだ。

僕は昔から、人と目を合わせるのが得意ではない。
視線の置き場を測りかね、いつも宙に逃がしてしまう。

けれど、その日はふと、こちらをかすめるような
気配のようなものが、胸の奥でざらりと動いた。
給油に出てきた若い男性の胸元で、
「K.K」と記された名札が揺れていた。
源氏名めいた雰囲気すらある。
その下に、細いペンで書かれた一行。

──趣味:バレー

ただそれだけなのに、妙に引っかかった。
名レシーバーだろうか。

ジャンプサーブが得意なのかもしれない。

もちろん本人に聞くわけもなく、
決められた量の燃料(157円/L)を買い、
いつものようにスタンドをあとにした。

そこで、時間は跳ぶ。
三月二日。
昼は二十歳の女の子とサイゼリヤでランチ、
夜は三十九歳の女性と、またサイゼリヤでディナーだった。
気づけば、開始から
ほぼ十二時間、飲みっぱなしだったことになる。

後になって思えば、あの日のうちに、
運命の傾斜は静かに始まっていたのかもしれない。

そんな夜、テーブルの上でLINEが震えた。

「◯◯なう(顔文字付き)」

ダサい。時代遅れ。

差出人はTだった。
ドン小西の全盛期を思わせるような、
無駄に派手な格好の男だ。
そのTが、僕のいるサイゼリヤのすぐ近くにいたことが、
Facebookのチェックインで暴露されたらしい。

無視という小さな地獄を避け、返信した。

「今から逝きます…」

向かいの彼女は、気まずそうに席を立った。
明るい店内の中で、ぽつりとひとりの影だけが残る。

だが、Tがいる。だから、ひとりではない。
本音を言えば、Tと飲むくらいなら、
ひとりでいた方がよかった。

両替町の居酒屋に着くと、
店先で迎えてくれたのは髭の濃い男性だった。

髭の殿下を思わせる立派な髭で、
痩せればギリシャ彫刻のような
輪郭になりそうな顔をしている。
だが視線は、自然とその左胸へ落ちた。

名札──そして、そこに書かれた一行。

──趣味:バレー

またバレー。
K.Kくんの名札が、ふと頭をよぎる。
昼からワイン飲みっぱなしの
酔いも回って、口も軽くなっていた。

「バレー? 名セッター? 名レシーバー? 名アタッカー?」

オバサマじみた質問を連射すると、
彼は困ったように笑った。

「あ……バリボーではなくて
踊るほうなんですよ。バレエの」

世界が一瞬、間延びした。
「ひぇぇぇぇ……」と声が漏れた。

似合わない、とは言わなかった。
その分だけ、僕の理性はまだ生きていたのかもしれない。

Tは相変わらず酒癖が悪く、僕の腕を乱暴に引っ張る。
すぐ説教をしはじめ、
放っておけば知らない誰かを巻き込みかねない勢いだった。

けれどその夜の僕は、Tよりも、
「二つのバレー/バレエ」の偶然に心を奪われていた。

どうして、
こういう取るに足らない一致ばかりが胸に刺さるのだろう。
偶然ではなく、この薄暗い居酒屋の
空気のせいかもしれない。
あるいは僕の孤独の形が、
そういうものにだけ敏感なのかもしれなかった。

本編は、そこで終わる。

サラリーマン川柳のような落ちだ、と自分でも思う。
だが、くだらなさの中でしか
拾えない瞬間が、ときどき人生にはある。
▼ 余談
昼のサイゼからはじまり、
夜は洋食疲れの舌のまま居酒屋へ。

「オススメください! 何が出ても文句は言いません!」
出てきたのはナポリタンとチーズオムレツだった。
和風の空気が濃い店内だったので、
てっきりマグロの刺身あたりが来るのだろうと身構えて、
お醤油まで注いでいたのに――
またイタリアンかよ、と、静かにため息を落とした。

ラベル:

3/13/2013

マシュマロの距離


「苦しむことに恋をする意味って、あると思う?」

そんな少し気取った問いを口にしたのは、
年上の彼女との三回目か四回目のデートだった。
十日ぶりの再会で、
場所は東名高速の近く、
田んぼの真ん中にぽつんと立つ居酒屋。

外観だけ見れば、強気すぎるほど堂々としていたが、
中に入ると、その自信は伊達ではなかった。
店内は満員で、
雑多で、騒がしく、活気のある空間が広がっていた。

彼女と横並びに座るのは、その日が初めてだった。
肩が触れ、太ももがデニム越しに当たる。
距離の近さに、むず痒い感覚が湧く。
それをごまかすように、言葉が先に出た。

「苦しむことに、恋をする意義ってあると思う?」

彼女は少しも考え込まずに答えた。
「なんで?
恋は楽しむためにあるんじゃん」

その瞬間、自分の中の何かが、すっと引いた。
価値観の違いなのか、相性の問題なのか、
今でもはっきりとは分からない。
ただ、あの密着した距離の中で、
踏み込むより、退くほうを選んだ自分がいた。

二次会は、なし。
後日、「蕎麦でもどう?」という連絡が来たけれど、
返事はしなかった。

ちなみに、あの居酒屋は数年後に潰れて、
今はラーメン屋になっている。
昔なら、その前を通るたびに、
あれこれ思い出していたと思う。
でも今は、
「まあ、そんなこともあったな」で終わる。

明日はホワイトデーだ。
何を返すか、少しだけ迷った。
クッキーなら、無難だ。
友達としての距離も、分かりやすい。

けれど、あの夜のことを思い出すと、
手元にはマシュマロが残った。
やわらかくて、曖昧で、
でも、ちゃんと距離のあるもの。

優しさのようでいて、
意思表示でもある。

今の自分には、
それくらいが、ちょうどいい。

ラベル:

3/06/2013

初デートの場所にいつも悩む


   いきなり映画館、という選択は、
どうも腑に落ちない。
映画館は、基本的に孤独な場所だ。
隣に誰かが座っていても、
スクリーンを前にすれば、
それぞれが別の時間を過ごすことになる。

映画は嫌いじゃない。
ただ、
出会って間もない二人が行く場所かと聞かれると、
少し首をかしげてしまう。
あれはもっと、
時間を一緒に重ねてからでいい。
二十年後くらいで、ちょうどいい気もする。

ドライブも、同じように迷う。
窓の外を流れていく風景は、
日常とそれほど変わらない。

会話に集中できるほど近くもなく、
景色に感動するほど遠くもない。
どうせなら海外でレンタカーを借りたいが、
現実的ではない。

しかも四輪だと、
どうにも身体が鈍る感じがする。

本当は、自転車かバイクがいい。
速度も距離も、ちょうどいい。
風や匂いを、同じ条件で受け取れる。

とはいえ、
排気ガスのことや、
ヘルメットの問題や、
髪型がどうなるか、といった
細かい現実が立ちはだかる。

映画みたいにはいかない。
高速道路のトラックは、
ロマンよりも黒い煙を運んでくる。
それも含めて現実だ。

それでもいい、と思う人がいるのも、
たしかにいる。
僕のことだ。

結局のところ、
初デートの場所に悩むのは、
相手のためというより、
自分の不器用さの問題なのだと思う。

うるさい居酒屋は避けたい。
静かすぎる場所も、落ち着かない。

何が正解かは分からないまま、
今日も選択肢だけが頭に残る。

偉そうなことを言っているが、
ただ迷っているだけだ。

それでも、
迷う時間そのものが、
もう始まりなのかもしれない。
次はどこに行けばいいのか。
答えはまだ出ていない。

ラベル:

3/03/2013

サミシガリヤのサイゼリヤ好き


   昨日、二十歳そこそこの女性と
サイゼリヤで食事をした。

そんな若い人と二人で食事をするのは、
ずいぶん久しぶりだった。

率直に言って、
少しだけ不安だった。

余計なお節介かもしれないが、
彼女の様子が、どこか気にかかった。

だるまさんが転んでも、
元に戻れるのは、
中におもりが入っているからだ。

彼女は、
若さと気合で
どうにか立っているように見えた。

気のせいかもしれない。

もともと僕は感じやすい性格で、
自分のことで精一杯だ。

ときめく、という
ずいぶんエネルギーを使う行為は、
意識的に避けていたつもりだった。
それでも、不意を突かれた。

昨日は、無理にテンションを上げた反動で、
今日はすっかり気力が落ちている。
何もかもやる気にならず、
嫌気だけが残った一日だった。

明らかに適量とは言い難い酒を
飲んだ証拠が、
しつこい頭痛として、
いまも居座っている。

飲み過ぎた翌朝はたいてい、
昨夜の自分の振る舞いを
悔やみながら目が覚める。

「ふつつか者が二日酔い」

あまり面白くもないが、
今回はその言葉で
この文章を結ぶことにする。

ラベル:

頁のはじめへ