2/28/2013

ウェブログを更新する「愉しみ」


   かつて、パソコンという文明の
道具そのものに嫌悪を抱き、
「そんなものを使う奴は、
人間として何かが欠けている」
などと豪語していた人間がいた。

その本人が後になって、自作の「登山日記」なる
ホームページを立ち上げ、堂々と公開していたのだから、
世の中というのは実に面白い。

その姿を見て、僕を「ゴキブリ扱い」して
蔑んでみせた人物の顔が、いまでもふと浮かぶ。
──1999年頃の話だ。

ただ、人の気持ちというのは案外、
お正月の餅みたいにやわらかく変わるもので、
翌年にはその人から、

「ネット始めました。よろしくお願いします」

という、なんとも低姿勢なメッセージが届いた。
僕はその文面を見て、
「ああ、案外いい奴じゃないか」
と思ったものだ。

日本という国も、僕の腸内環境も、
あの頃はまだどこか牧歌的だった。

さて、今日の話に移ろう。
スマートフォンが人間の延長みたいな顔をして、
世界中が「今何時世界大戦だっけ?」
と言いたくなるほど
仮想の渦に巻き込まれている今も、
僕がこうしてウェブログを更新し続けるのは、
「先入観で小言を言わない爺さん」でありたいという
ささやかな意地のためだ。

検索ワードというものは、実に勉強になる。
自分のブログがどんな言葉で探されているのか──
定額制になったことで、わだかまりを
解消しようとしているのか、
浅ましい指先の欲望がそこに透けて見えることもある。

そんなものを眺めるたび、思うのだ。
「やれやれ、お前らも変態じゃないか」と。

僕は、ネットがいまのように「定額」ではなく
「従量」で震えていた時代から、
変わらず思いの丈を綴ってきた。

理由は単純。
美人に読んでほしかったからだ。

美人というのは案外、どこか欠けている。
これまで「付き合った」とされる相手との関係は、
どこか体だけのような、味気ない時間が多かった。
だからこそ、心だけは、触れられない場所に
そっと仕舞っておきたかったのかもしれない。

気づけばそれが殻になっていた。
──そんな飢餓感が、今もどこかに残っている。

Amebaという場所にわざわざ身を晒していたのも、
その名残りだろう。
警告をもらったこともあったが、
おかげで文章に工夫が生まれた。

ただ、書くということの本質は変わらない。
「富士山のてっぺんで、友達99人+1人と
おにぎりを食べたい」
──そんな青春ドラマのような欲求は、
もうとっくになくなった。

友達なんて、いらない。

……と書いておきながら、
ここで苦笑している自分がいる。

というのも昨日、なんとリアルに、
「可愛い!」「彼女になりたい!」
と言ってくれた女の子が、
嬉し恥ずかし、僕の読者になったのだ。

もちろん、体目当てではない。
……が、相手はお金目当てかもしれない。

 な。
ね。

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2/24/2013

電話が苦手で、街が遠のいた


   電話をかけるのが、昔から苦手だった。
番号を押し、呼び出し音を待つ
あいだの宙づりの時間に、
身体だけが先に構えてしまう。

用件は単純でも、
相手が出るかどうか分からないまま
待つ感覚が落ち着かない。
だから、手続きの要ることは、
たいてい後回しになった。

面倒なのではない。ただ、腰が上がらなかった。
行けば済むと分かっていても、
そこまでの段取りが、妙に重く感じられた。

人との関係も、似たようなものだったと思う。
続くかどうか分からない曖昧さや、
空気を読む往復が苦手で、
始まりと終わりがはっきりしているほうが、まだ楽だった。

それは割り切りというより、
当時の自分なりの防衛だったのだろう。
深く踏み込まず、期待を持たず、
あとに何も残さないようにする。
そうしておけば、疲れずに済むと思っていた。

静岡の街は、いつの間にか様子が変わった。
というより、変わったのは街か、自分か、
今ではよく分からない。

かつて当たり前にあった店が消え、
理由のはっきりしない空白が増える。
賑やかさは残っているのに、
そこに身を置いても、こちら側に返ってくるものが少ない。

面白くなくなった、と言ってしまえば簡単だが、
正確には、街が自分を映さなくなった、という感覚だった。
鏡の前に立っても、
焦点が合わず、ただ人の流れだけが過ぎていく。

それでも生活は続く。
気づけば、苦手なことをひとつずつ避ける癖だけが、
静かに身についていた。

今なら、少しだけ分かる。
あの頃の自分は、
何かを強く求めていたわけではない。
どうやって一日を無事に終えるか、
その手触りを探していただけなのだと思う。

電話をかけるのが苦手だったことも、
街から足が遠のいたことも、
多分、同じ線の上にあった。

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ぬくもりの原価


   自分以外の人間に金を使うのは、
基本的にムダだと思っている。

僕は女性に贈り物をしたことがない。

ブランド物を気前よく買ってやる男もいる。
女の子を旅行に連れていく男もいる。

ご立派な話だが、
こちらとしては「大変そうだな」と思うだけだ。
尊敬は、していない。

僕のほうは、自分の飯と
飲み屋のつまみ代を捻出するので精一杯である。

実を言えば、明後日の晩あたり、
久しぶりにぬくもりを買おうかと考えていた。
少し寒く、気分が妙に余っていた。

念のため家計簿をつけてみると、
自由になる金は、5,611円。

この数字を見て、さすがに冷静になった。

よほどこちらに魅力があるか、
あるいは相手が深刻な事情を抱えていない限り、
この金額では難しい。

もし「サワリーマン」という職業があるなら、
僕はたぶん、不適格だ。

仕方がないので、今夜は睡眠を選ぶことにした。
無料の快楽、というやつだ。

睡眠Gooという言い方は古いかもしれないが、
あれはあれで、悪くない。

明日は、なるべく目立たぬように過ごすつもりだ。
いてもいなくても変わらない、
パジャマ姿の中年東洋人が部屋にいる。
それでいいのだと思っている。

ちなみに、家計簿の記帳に
スマホのアプリなど使ってはいけない。

金というものは、鉛筆で数字を書いてみて、
ようやく重みが出る。

日本の文房具は、その点よくできている。

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2/23/2013

Wallがうるさく感じられる理由


   海外のSNSを眺めていると、
ときどき、なぜか騒がしく感じる投稿がある。

ラーメンの写真。
子どもの写真。
どちらも、それ自体は何の問題もない。

ただ、その横に添えられた文章が、
少しだけ前に出すぎている。

写真より先に、
「どう見てほしいか」が目に入ってくる。
語らなくてもいいことまで、
丁寧に説明されている。

僕は、SNSではあまり書かない。
流れてくるものを、ただ見ていることが多い。
理由は単純で、
言葉は、必要な分だけでいいと思っているからだ。

ラーメンも、
子どもも、
本来は、もっと静かな存在のはずだ。

それをわざわざ前に押し出し、
感情まで指定されると、
画面が一気に窮屈になる。

写真が悪いのではない。
誰かの生活が悪いわけでもない。

ただ、
「これは誰に向けたものか」が
はっきりしすぎると、
人は自然に距離を取る。

たぶん僕は、
その距離を保つために、
書かず、
語らず、
眺める側にいたのだと思う。

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2/18/2013

面倒くさいLINEトーク ――既読地獄


「つかー…
おめえ、まちで
しかとかよ。
しゃらくせーい」

「意味わからんねえ女だな
めんどくせーやつ」

「返事こないまま
会うのほんとに嫌なんだけど…
まちでむかつくーのに…」

「時間たつと
怒りは消えるー(>_<)
でも
しかとはやめろよな」

「……
もーーー会うのいやだ」

「ぷんぷんまる」

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2/10/2013

空白の午後


   検査の結果、腫瘍は良性だった。
それだけで十分だったはずなのに、
診察室を出たあと、時間が急に余った。

安心すると、気持ちの置き場がなくなる。
張り詰めていたものが緩み、
頭の中に、わずかな空白ができる。

僕はたぶん、真面目な人間だ。
少なくとも、自分ではそう思っている。
軽い気持ちで何かに手を伸ばす、
そういう癖はないつもりだ。

だが、何も起きなかった日の午後は、
妙に手持ち無沙汰で、
余計なことを考えさせる。

会社では、相変わらず働いている。
誰と誰の間にも立ち、
感情がぶつからないように、
空気をならす役回りだ。

性格の正反対な人間同士をつなぎ、
どちらにも肩入れせず、
中立でいることを求められる。

正直、それは疲れる。
だが、代わりにやる人間もいない。

検査結果が良性だったことよりも、
そのあとに残ったこの空白のほうが、
今は少しだけ厄介だ。

何かが足りないわけではない。
ただ、張り詰める理由が、
一瞬、消えただけなのだと思う。

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2/07/2013

インターネット疲れの話


   最近、インターネットに疲れる人が増えているらしい。
米国でも、一定期間ネットから
距離を置く人が多いと聞いた。
少し意外だった。
もっと雑に、もっとタフに
使い倒しているのかと思っていたからだ。

だが考えてみれば、
かつて日本で言われた「mixi疲れ」と、
本質はそれほど変わらないのかもしれない。

人とつながる仕組みは、
便利になるほど、逃げ場がなくなる。

SNSが広まった理由は、
たぶん単純だ。
最初は、面白かった。
知らない人の生活を覗き、
自分の存在も、誰かに確認してもらえる。

だが、そのうち違和感が生まれる。
普段、顔を合わせている相手と、
なぜか常時接続で気配を共有し続けなければならない。
用事でも、仕事でもないのに。

楽しげな近況や、順調そうな報告に、
反応を返すことが、
いつの間にか義務のようになる。
それが、どうにも疲れる。

聞けば、
入社と同時に、
職場の人間関係をネット上でも結ぶことを
求められる会社もあるらしい。
少し想像しただけで、息が詰まる。

今の自分の環境は、ずいぶん静かだ。
第三者の視線が少ない。
それだけで、驚くほど楽になる。

格好よく振る舞うのは、案外、消耗する。
たまには、気分が沈んだままでもいい。
言葉を急がず、
無理に更新しない日があってもいい。

インターネットは、
距離を取れるからこそ、使える道具だと思っている。
近づきすぎれば、
だいたい、ろくなことにならない。

だから、ときどき、離れる。
それくらいが、ちょうどいい。

友達が多いわけでもない筆者は、
今日も、その静けさを選んでいる。

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