1/05/2013

回線を切ってから読む


   ある文章を読んで、
素直に「いい文章だな」と思った。
久しぶりに、そう思わせる文章だった。

考え方も、構成も、よく練られている。
ただ、その文章を通話時間も通信量も気にせず、
ほとんど無意識にスクロールしながら
読んでいる自分に、ふと苦い気分が湧いた。

もし1997年頃だったら――
ページをすべて読み込んだ瞬間に回線を切り、
ブラウザをオフラインにしてから、
改めて腰を据えて読んでいたはずだ。

……というのは、半分ウソだ。

当時の従量制通信には、
「活字を読むために金を払う」
余裕などなかった。文章を読みたければ、
古本屋で100円の文庫本を買うのが、
当時はいちばん賢明な選択だった。

もっとも、自分がそうだったかどうかは、さておき。
少なくとも懸命――つまり必死だった
瞬間は、確かにあった。通信料金を気にしながら、

どうしても「今すぐ確認したい何か」がある時だけ、
ネットに接続した。細部は、ここでは省略する。

ともあれ、多くの日本の男たちと同じように、
それが自分の「ネットの原体験」だった、
と言ってしまえば簡単なのだが――
実は、これも少し違う。

本当のところは、不便極まりないDOS/V機を、
見違えるほど使いやすくしてくれる
フリーソフトの最新版を手に入れるため。

そのために、仕方なくネットに繋いでいた。

そう言っても、今の感覚では
あまり信じてもらえないだろう。

気づけば話が長くなっている。

自分で「ここで終わる」と書いておきながら、
まだ続けているあたり、二学期始業式の
校長先生の話と大差ない。
要するに、当時のネット環境では、
他人の長文をのんびり読む余裕などなかった。

それが今では、哲学めいた文章も、思索的な長文も、
スマートフォンで簡単に読めてしまう。

この風潮が良いのか悪いのかは分からない。
少なくとも個人的には、思考を要する文章を、
常時接続の流れの中で消費することには、
どこか危うさを感じている。

――そんなところで、話を結んでおくことにする。

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