テレキャスターと歌謡曲の狭間で
ゴールデン・カップスの音楽を聴くと、
いつも少しだけ居心地が悪い。
洋楽の顔をしているのに、
決定的なところで日本語が滲む。
ロックのフォームを借りながら、
歌謡曲の体温を捨てきれていない。
その中途半端さが、どうにも気になる。
ギターの音は乾いていて、
都会的で、どこか無愛想だ。
それなのに、歌が入った瞬間、
急に湿度が上がる。
感情が、説明される前に、伝わってくる。
これは輸入音楽ではない。
たぶん彼らは
「洋楽になりたかった」のではなく、
「洋楽の距離感で、日本の歌をやりたかった」のだと思う。
だから、歌謡曲を歌うときのほうが、
逆に正体がはっきりする。
無理に感情を盛り上げない。
泣かせにも来ない。
それでも、ちゃんと寂しい。
その感じが、
深夜の横浜や、使い古されたバーのカウンターと
妙に相性がいい。
ゴールデン・カップスは、
完成された物語ではない。
むしろ、
「なりきれなかったもの」の集合体だ。
でも、その未完成さこそが、
都市の音楽として、
今も耳に残り続けている理由なのだと思う。
ラベル: 好きな音楽










