8/31/2012

京都大原さん全員


   タイトルは意味不明だ。
それでも、意味不明であること自体に、
どこか腑に落ちる感じがある。

近所のスーパーが「フライデー」
とやらで五%オフらしい。
はんぺんフライをまとめ買いした、

という話をでっちあげてみたが、もちろん嘘だ。

本当は、金曜日にサークルKで『FRIDAY』を買った。
それだけの話である。

さっき、ぱらぱらと目を通した。
正直に言えば、買うほどのものでもなかった。

とはいえ、買ってしまったのだから仕方がない。
都市の午後に、どうでもいいことがひとつ、
静かに追加された。

――だから何だ。

そう思われるだろうことは、百も承知している。
それでも、こうして書いてしまう。
書くことでしか、
どうでもよさを肯定できない日が、たしかにある。

窓の外では、風がわずかに秋を含んでいた。
京都・大原を歩く女の背中が、ふと脳裏をかすめる。

誰にも見られず、
誰も見ようとしない孤独の、美しさ。

その静けさに、少しだけ救われる。

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8/30/2012

翻訳蒟蒻


   「ウケる~」
「おもしろ~い」

そんな言葉と一緒に、
笑い声が飛んでくる。

けれど、その背後には、
ときどき
ひんやりと冷たい風が、
すっと流れることがある。

あれはたぶん、

「お前、寒いんだよ。
もう、見てらんないんだよ」

そんなニュアンスを含んだ翻訳が、
こちらの耳に届いてくるのだと思う。

翻訳こんにゃくなんて、
気の利いたものは
持ちあわせていないから、
僕はせめて、
顔だけでも笑わせておく。

たとえ、
頬の筋肉がつるような夜でも。

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8/27/2012

再登録の日


   LINEを一度、削除した。
理由は単純で、知らない誰かからの
身に覚えのない誘いが増えすぎたからだ。

数日後、もう一度インストールしてみると、
アプリはずいぶん大人になっていた。
プライバシー設定は整い、
かつての野放図な感じは影をひそめている。

「なるほど、これは信用できるな」
そう思った、その直後だった。

連絡先を登録しているはずの人が、
画面に現れない。

相手のアドレス帳には、
僕の番号は残っていなかった。
それだけの話なのに、
少しだけ胸に引っかかった。

気の置けない友達だと思っていた。
少なくとも、僕はそう思っていた。

いちばん気になっていた人の名前が
そこにないことに気づいたとき、
アプリの進化とは関係のない場所が、
ひどく冷えた。

便利になった分だけ、
人間関係は正確になった。
それが、少しだけ、つらかった。

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8/25/2012

逃げても、既読──LINEと国境を越えた好意の話


   今日、LINEのアカウントを
また新しく作り直した。

二十三日前に削除したばかりのものを、
こっそりと、である。

目的はひとつだけ。
誰かの好意から、少し距離を置くため。

だが、逃げ切れなかった。

「おかえり~」

そんなメッセージが、あっさり届いた。

どうやら、相手のアドレス帳には
僕の連絡先が、まだ残っていたらしい。

削除されていないという事実は、
ありがたいことなのか、
それとも、逃げ場のない引力なのか。

このあたりの感情は、
都市の雑踏のように、整理がつかない。

それにしても、なぜか僕は、
好意を向けられる側に立ってしまうことがある。

不細工で、冴えなくて、
特別な何かを持っているわけでもないのに。

縁というものは、
こちらの都合などお構いなしにやってきて、
ときどき、距離の感覚を軽々と飛び越える。

できれば、
もっと静かな距離感で、
誰かと繋がっていたい。

だが、人生は思い通りにはいかない。
それを実感できるようになった時点で、
もう十分にオトナなのだろう。

逃げても、既読。
消しても、記憶は残る。

アカウントを消しても、
縁までは消えてくれない。

それが、
現代の孤独とつながりの、
少し厄介なかたちなのかもしれない。

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8/24/2012

Snow LeopardとMountain Lionを共存させた日


   OS X Mountain Lionの導入が終わった。
2010年製のiMacなので、多少の重さは覚悟していた。

実際、軽快さだけを見れば、
Snow Leopardのほうが分がある。

それでも、iCloudによるiPhone、iPad、

Macの連携は、確実に便利になった。
音声入力で文章が作れるのも、実用性というより、

「時代が一段進んだ」という感触に近い。

そこで、HDDを二つに分け、Snow Leopardと

Mountain Lionを共存させることにした。
どちらもクリーンインストールだ。
古いソフト資産を活かしつつ、
新しい機能も試せる環境になった。

動作は悪くない。
Snow Leopardはもちろん、
Mountain Lionも思った以上に素直に動く。
iMacを買ったばかりの、
2010年秋の感触を、少しだけ思い出した。

ただ、一つだけ引っかかる点があった。
Mountain Lionでは、
アプリの追加がMac App Store中心になる。
これまでのように、作者のサイトから

直接ダウンロードする流れとは、微妙に勝手が違う。

二つのOSを並べて使う以上、
アプリケーションも共存させたい。
だが、Apple IDが絡むと話は少し面倒になる。
iPhoneやiPadとの同期を崩したくはなかった。

調べていくうちに、解決策は見つかった。
使っていないほうのシステムを、毎回アンマウントする。
理屈は単純だが、毎回手作業になる。

技術的には正しくても、生活としては少し煩わしい。
理想を言えば、人が意識しなくても
環境が整っていてほしい。
最近のAppleが目指しているのは、たぶん、そういう世界だ。

だが、共存というのは、だいたいこういうものだ。
新しいものと古いものを並べて使うと、
どうしても人の手が一枚噛む。

それでも、今のところこの形に不満はない。
切り捨てず、無理に統一せず、
使えるものを、使えるまま残しておく。

Snow LeopardとMountain Lion。
どちらが正しいという話ではない。
ただ、自分には、まだ両方必要だった。

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8/19/2012

明日を迎えるための、静かな読書


   はぁ……と、誰にも聞かれないため息をつく。
気がつけば、また明日が来る。
いや、来てしまう、という感じに近い。

紙幣を得るために神経をすり減らす日々の途中で、
ときどき、理由もなく立ち止まることがある。

暮らしを、
前向きな言葉でうまく説明できないまま、
とりあえず今日をやり過ごす。
そんな姿勢が、いつの間にか
大人らしい顔として身についてしまった。

少し恥ずかしくて、
でも誰にも言えない。
たいていのことは、そうやって済ませている。

そんなある朝、新聞の片隅に載っていた
村上龍の「55歳からのハローライフ」
という連載小説に、ふと目が留まった。

壮年期を迎えた人々の、
静かな再出発を描いた物語らしい。

誰かに勧められたわけでもなく、
深い理由があったわけでもない。
ただ、そこにあったから、読んでみただけだ。

それでも、ほんの少し、
明日を迎える理由が増えたような気がした。

長い文章を読むのがしんどい日もある。
斜め読みしかできない朝もある。

それでも、数行の物語が、
心の奥に残ることがある。

盛れた写真をアップして、
手早く得られる幸福もあるけれど、
その裏側にある、
誰にも見せない風貌や気配に、
そっと寄り添ってくれる言葉も、確かにある。

この小説は、
そんな日々の隙間に、
静かに置いておける一冊なのかもしれない。

読まなくてもいい。
読めるときに、読めるだけ。

それだけで、
明日は、ちゃんとやってくる。

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フォトセラピーの帰り道


   毒素を抜いた身体は、
気のせいか、少しだけ軽い。

エステティックサロンで
フォトセラピーを浴びた帰り道、
その軽さを確かめるように、
七間町のバーミヤンに入った。

ファミレスは、ちょうどいい距離を保ってくれる。
誰も干渉せず、
こちらも誰も気にしなくていい。

ただし、サイゼリヤは除く。
あの「また来たのか」という空気だけは、
どうにも苦手だった。

バーミヤンのメニューには、
料理より先に文章がある。
僕は、その文章を読む。

この日、目に留まったのは
夏限定の一品だった。

豆乳仕立ての
まろやか仕立ての
冷やし担々麺。

「仕立て」が二度出てくるところに、
妙な力の入れ方を感じる。

普段、麺類はあまり選ばない。
それでもこの日は、注文した。
豆乳という言葉が、
フォトセラピーの余韻に
うまく重なったのかもしれない。

しかも、この麺を頼むと
麦酒が少し安くなる。

冷やし担々麺は、
想像していたほど重くなかった。
口当たりは軽く、
豆乳のせいか、どこか丸い。

麦酒はサッポロのビヤマイスター。
店長が資格を取ったらしいが、
泣けるほど旨い、というわけではない。

それでも、
昼下がりの一杯としては十分だった。

2012年7月14日。
フォトセラピーの帰り道に、
冷やし担々麺と麦酒。

七間町のバーミヤンは、
その組み合わせを
何事もなかったように受け止めていた。

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Facebookという場所


   Facebookは、
本来は気の置けない人たちと
静かに近況をやり取りするための場所だったはずだ、
と、僕はどこかで思っている。

ところが実際に流れてくるのは、
驚くほど無難な投稿ばかりだ。
外食の写真。
当たり障りのない料理。
感想は控えめで、
失敗も癖も、きれいに切り落とされている。

上品、と言えばそうなのかもしれない。
けれど、
偶然入った店で思いがけず当たりだった、
あの感じとも違う。
最初から「安全な一枚」だけを
取りに行っているように見える。

もう少しはみ出してもいいのに、と思う。
失敗でも、勘違いでも、
その人らしさが滲むほうが、
よほど親しみは湧く。

とはいえ、
そんなことをわざわざ書き立てるのも、
きっと同じくらい野暮なのだろう。

「どこがいい?」と他人に投げる前に、
自分で決めればいい。
つまらないと思ったなら、
黙って距離を取ればいい。

そう分かっているから、
僕は今日も、
何も書かずに画面を閉じる。

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止まったエンジン音 —— Kyrie Eleison

 Easy Rider の、ある一場面から。
乾いた映像の継ぎ目に、
不穏で、どこか軽薄な音楽が差し込まれる。
The Electric Prunes ―― Kyrie Eleison。

その流れのなかで、デニス・ホッパーが言う。
「娼家へ行ってみよう」

何度目の台詞だったのかは、もう分からない。
順番も前後している。
それでも、その一言だけが、
切り取られたように残っている。

ピーター・フォンダの佇まいを、
当時は「虚無的」と呼ぶことすらできなかった。
ただ、理由もなく、あの姿をなぞりたかった。

レイバンのオリンピアン。
ハーレー。
揃えるものはいくつも浮かんでいた。

1991年。
大型二輪の免許は、簡単には通らなかった。

試験場の管制塔。
無言で立つ係官。
どこか軍隊に似た空気のなかで、実地は四回目になった。

それでも、許可は下りた。
ハーレーも、手元に来た。

あの頃は、身体の方が先に動いていた。
勢いだけが前に出て、
後ろのものは振り返らなかった。

2012年の夏。
あの映画の一場面は、
いまもどこかで、
エンジン音だけを残したまま、止まっている。

ラベル:

8/16/2012

2012年、ミクシィメッセージ


   mixiのメッセージで、ついに
画像添付が可能になったらしい。
ますます、容姿に自信のない
自分には不利な改良――改悪かもしれない。
いや、いまさらそんなことを気にしても仕方がない。

2006年頃の自分を思い返すと、
「写メ送って」と言われるたびに、
トリミングした
片目とおでこだけで、どうにかごまかしていた。

文章を練りに練っても、
その先に待っているのは写真一枚の場合もあれば、
文章だけで十分に成立する場合もあった。

すぐに消費されてしまう笑いと、軽さだけのときもあれば、
言葉だけでちゃんと伝わる静かなやりとりもあったのだ。

振り返ると、
あの頃の自分は、笑いながらも
少し寂しかったのだな、と思う。
勢いと必死さのあいだで、
誰にも見せない、自分だけの戦いをしていた。

あのときの手の感触も、
小さな焦りも、
全部まとめて、今は静かに笑える。

ミクシィのメッセージ欄を前に、
あの頃の自分の写真を想像してみる。

きっと、
読み込まれる前に、
指はもう次の画面を探していただろう。

ラベル:

8/05/2012

OS X Mountain Lionを導入した日


   OS X Mountain Lionを導入した。
ダウンロードバーが進むのを、
特に何をするでもなく眺めていた。

ジョブズ亡き後のAppleについて、考えないわけではない。
不安がないと言えば嘘になる。
革新というより、更新を続ける企業になった――
そんな印象を持つこともある。

それでも使い続けている。

思い返すと、選択の理由はいつも合理的ではなかった。
効率や正解よりも、手に馴染むかどうか。
自分の感覚に合うかどうか。
その基準で、いろいろなものを選んできた。

年を重ねるにつれ、事情は変わった。
体力も時間も限られ、
無理をすること自体が、だんだん
現実的ではなくなってきた。

素直になる、というのは
流されることとは少し違う。
諦めたわけでもなく、
ただ、使う力の配分を変えただけだ。

AndroidやWindowsにも魅力はある。
完成度という意味では、
むしろ優れている部分も多い。

それでも、当分はAppleを使い続けるだろう。
理由は単純で、慣れているからだ。
それ以上でも、それ以下でもない。

Mountain Lionの導入は、
単なるOSの更新というより、
自分のそうした癖を、あらためて確認する時間だった。

先のことは分からない。
選択が裏目に出ることも、きっとある。
それでも今は、
これでいいと思っている。

ラベル:

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