5/19/2012

女王陛下の007──ボンドと僕と、ちょっとの偏見


   英国女王の即位六十年という報せに触れ、
ふいに思い出したのが『女王陛下の007』だった。

1969年公開。
ジョージ・レーゼンビーが一度きり
ジェームズ・ボンドを演じた作品である。

シリーズの中では、
どこか傍流のように扱われがちだが、
あらためて思い返すと、
この映画には妙な静けさがある。

主題歌はインストゥルメンタル。
007なのに、歌がない。
派手な決め台詞も、あまり前に出てこない。

代わりに残るのは、
どこか落ち着かないボンドの姿だ。

恋に落ち、結婚を考え、
そして取り返しのつかない喪失を抱える。
シリーズの中で、
ここまで感情を正面から背負ったボンドは、
ほかに思い当たらない。

観ながら、
「ボンド、どうした」と
心の中でつぶやいたのを覚えている。

もっとも、僕の中のボンド像は、
どうしてもショーン・コネリーから動かない。

眉間の皺、スーツの着こなし、
低く抑えた声で名乗る
「Bond, James Bond」─。

彼が言えば、それは台詞というより、
ひとつの様式のようなものになる。

だからこそ、レーゼンビーのボンドに漂う
人間的な揺らぎが、
どこか居心地悪く映ったのかもしれない。

思えば僕は、ボンドに「人間らしさ」を
あまり求めていなかった。

話は少し逸れるが、
『007は二度死ぬ』も忘れがたい。

日本が舞台で、忍者が現れ、
ボンドは和服を着て潜入する。

冷静に考えれば、
首をかしげたくなる場面の連続だが、
そこに浜美枝が登場した瞬間、
そんな理屈はどうでもよくなる。

あの色彩と佇まいは、理屈よりも先に、
こちらの降参を促してくる。

皮肉屋を気取っていても、
拍手せざるを得ない瞬間が、
たしかにあった。

話を戻すと、『女王陛下の007』は、
派手さよりも余韻の残る一本だ。

完璧なヒーローではないボンド。
感情を持ち、傷つき、
それでも任務に戻っていく姿。

それを良しとするかどうかは、
たぶん、こちら側の偏見次第なのだろう。

ボンドが恋に落ちるのを見て、
「そうか、彼も人間だったか」と
思えるかどうか。

その一点で、この映画との距離が
決まってしまう――
そんな気もしている。

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