1/28/2012

風化する日記、移ろう視線


   かつて、匿名性に守られた mixi という場所で、
僕はずいぶん自由に言葉を吐いていた。

それは時に下品で、時に挑発的で、
いま読み返せば、少し身振りが大きすぎたようにも思える。
だが当時の僕にとって、それは都市で息をするための、
ひとつの身の置き方だった。

「上から目線(メセン)」などという皮肉めいた名を掲げ、
距離を保ちながら世界を眺める。
その構えを、どこかで美学と呼びたかったのだろう。

この日をもって、mixi日記の更新を凍結する。
実名が前提となる場所へ移ることで、
自分の言葉が、誰かの現実に触れてしまう可能性を、
ようやく意識し始めた。

冷たい風の吹く実社会では、
発言は軽やかであるほど、思いがけず重さを伴う。
遅ればせながら、
その単純な事実を受け入れただけの話だ。

これからは Facebook という、
決して穏やかとは言い切れない場所で、
日々の出来事を淡々と記録していくつもりでいる。
華やかさよりも、経過を残すために。

ソーシャルネットワークを愉しむとは、
自己を主張することではなく、
世界との距離を測り直す作業なのかもしれない。

一方で、別に続けている匿名のブログには、
今もなお、
ほとんど毎日のように、誰かの足跡が残る。

フィーチャーフォンやタブレット越しに伝わるその気配は、
好奇心というより、
どこか歪んだ安息を求めるもののようにも見えた。

人は、自分が不安で満たされているとき、
他者の揺らぎを眺めることで、
かろうじて均衡を保つ――
そんな言葉が、妙に現実味を帯びて思い出される。

アクセスログに残るその誰かの存在も、
いまでは、ただの風景だ。

アメーバブログ「上から目線(メセン)」で
掲げていたスタンスも、
そろそろ畳む頃合いなのだろう。
アクセスがないという事実が、
それを静かに教えている。

充実を誇示する言葉ほど、
読む側の体温を奪うものはない。
誰にも読まれないのも、
無理からぬ話だ、と今は思っている。

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1/22/2012

再インストール、もう疲れたよ


   また、DELLの
ノートパソコンが壊れたっぽい。

前回はテレビチューナー。
今回はたぶん、グラフィック周りだ。

文字検索の反応が鈍く、
描画も妙に遅い。
気のせいだと思いたかったが、
どうも違う。

OSを再インストールし、
デバイスドライバを更新し、
余分な常駐を解除する。
思いつくことは、
引き篭って一通りやった。

……だめだった。
再インストール、
もう疲れたよ。
よく壊れるね、DELL。

もっとも、DELLに限った話でもない。
国産の家電も似たようなものだ。
ある日突然、何の前触れもなくご臨終。

作りは軽く、
直すより買い替えたほうが早い。

愛着が湧いて、
仕方なくなるような
こだわりのある製品は、
いつから姿を消したのだろう。
修理するより、
買ったほうが安い。
そう言われて、
あっさり捨ててしまうのも、
どこか釈然としない。

まあ、
ここで愚痴っても仕方がない。
国産製品も、
もう昔のように
堅牢で誠実だとは思っていない。

信用しきれないものを、
信用しきれないまま使う。
そんな感覚が、
この頃には
すっかり身についてしまった。

周りの人間たちは、
この手の作業をいつも僕に任せて、
自分ではやろうとしなかった。

失敗するのが怖いのだろう。
だから、壊れたままでも触らない。

そのぶん、僕は
何度も再インストールをした。

終わるたびに、
パソコンは少しだけ
扱いやすくなった。

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1/09/2012

成人式


   テレビで、新成人の映像を見た。
晴れ着とスーツの群れが、街のどこかで笑っている。

二十歳なら、少し寝なくても動ける体がある。
そんな当たり前のことを、ぼんやり思った。

自分が二十歳だった頃の記憶。
成人式には出ていない。

なんせ友達がいなかったから。
会場に一人でいて何になる。

外に向けて言葉を出す場所はなかった。
ノートに鉛筆で、走り書きをするしかなかった。
誰かに読まれることは、想定していなかった。

二十歳は、息苦しかった。

周囲は、再会の勢いのまま、
週末まで満たされていくのだろう、と
無駄に想像して、
勝手に自分を追い込んでいた。

それだけは、はっきり覚えている。

いまは、犬といる時間がいちばん楽だ。
神経がほどける。
それは卑屈なことではない、と自分では思っている。

これは、嘘ではない。

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1/08/2012

モッズコートと精神の防波堤


   3,980円のモッズコートを買った。
この冬は、もうこれでいいだろうと思った。

g.u.の棚の隅に、ぽつんと掛かっていた一着。
手に触れた瞬間、安物という先入観がすっと抜けて、
「まあ、これなら冬を越せるか」と胸の底が少し軽くなる。

シルエットは悪くない。
かつてのミリタリーの無骨さとは違い、
街の風景に自然と紛れる細身のラインがある。
肩の落ち方や裾の揺れ方も、
いまの自分に無理なく寄り添っていた。

惜しいのは、ファーだけだ。
軽くて、どこか人工的。
けれど、その軽さもまた、
自分の冬の暮らしに
妙に似合っている気がして、嫌いにはなれない。

中年の男がg.u.で服を選んでいる姿を見れば、
昔の景気のよかった人たちは眉をひそめるかもしれない。
笑われても、まあ、それはそれでいい。
そのくらいの余白が、まだ救いになっている。

身だしなみを投げ出した瞬間、
たぶん、自分も簡単にみっともなくなる。
だから、このコートを着る。
冬の風だけでなく、
気持ちの端を守るための、ささやかな防波堤として。

安価であることは、恥じゃない。
限られた中で、それでも少しは整えようとする。
その程度の矜持なら、まだ残っている。

1/07/2012

引きこもりとお守りと、ちょっとした毒


   三連休の初日。
DELLのノートが故障中で、家にこもるしかなかった。

けれど、それはそれで悪くない。
ひとりで過ごす静かな時間は、僕にとっては贅沢だ。

昨日から仕事が再開した。
社用車に、交通安全のお守りをひとつ付けてみる。

もちろん自己負担。
誰に頼まれたわけでもない。

今年のラッキーカラーは「赤」らしい。
それに近い色を選んだ。
信じているというより、気休めに近い。

こういうものは、
効くかどうかより、
「付けている自分」が落ち着くかどうかだ。

パソコンは相変わらず直らない。
少しだけ、気持ちもささくれている。

だから今日は、
外に向けた毒は出さず、
ここでひと息つくことにした。

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1/05/2012

ハンドルとロブスターと、さよならビートル


   休みの最終日は、
いつもより道が長く感じる。

朝から夕方まで、ただ運転した。
目的地はなかった。
ハンドルを握っているあいだだけ、
ほかのことを考えずにすむ。

十年もののビートルは、
今日も文句ひとつ言わず走った。
それでも、時おりきしむ音がして、
そろそろ別れの段取りを考えろ、と
背中を軽くつついてくる。

次はイタリア車にしてみたい。
街角でフィアット500を見かけると、
つい視線がついていく。
とくに理由はない。
ただ、ああいう丸さに
最近弱くなっている。

帰りに、くら寿司へ寄った。
ロブスターサラダ軍艦をひとつ取ったら、
そのまま同じ皿を積み上げていた。
満腹というより、
途中から「やめどき」を見失っただけだ。

休みの終わりに、
車と寿司と、少しの先回り。
そんな、湿気の少ない一日だった。

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1/04/2012

運気なんて風のように──市内の大きな神社と僕の金銭哲学


   昨日、ふと思い立って
市内でも名のある大きな神社へ向かった。

あとで知ったのだが、そこはどうやら
金運とはあまり縁が良くないらしい。
まあ、そんな噂はどうでもいい。

手を合わせたところで、
財布が急に太るわけでもない。

それより、あの広い境内の静けさで
自分の欲望の輪郭がはっきりしたことのほうが、
よほど意味があった。

恋愛運に一喜一憂しなくなったのは、
たしか2008年からだ。
あの頃を境に、運勢よりも
自分の選択に責任を持つようになった気がする。

「今日のあなたはモテ期です」
なんて言葉で浮かれるほど、
もう若くもない。

2009年以降、願いはひとつだけになった。
銭──。
ただし、ただの金ではない。
自分で稼ぎ、自分で使う、意味のあるお金だ。

占いがどう言おうと、
僕の人生は僕が決める。

運気なんて風のようなもの。
吹いてくるなら軽く乗ればいいし、
止まるなら、自分の足で進めばいい。

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1/02/2012

箸を置く場所


   今日の朝食は、昨日と同じだった。
白い椀には、相変わらず苦手なお雑煮が沈んでいる。
膨らんだ餅が、静かに
こちらをうかがっているように見えた。
僕は目をそらす。昨日もそうしたし、
きっと明日もそうする。

ラーメンも得意ではない。湯気の向こうに漂う、
あの期待されている感じがどうにも気になってしまう。
麺を勢いよく啜るべきだという空気。
スープは残さないほうがいいという習慣。
そのどれにも、素直に身を預けられない。
 
焼肉も同じだ。
網の上で弾ける音が、
誰かの高揚を代弁しているようで、落ち着かない。
踊る脂にも心は動かず、
タレの甘さにも、気持ちは寄り添わない。

たぶん僕は、扱いづらい人間なのだろう。
誰かが用意した「美味しい」に、うまく寄りかかれない。
食卓に並ぶものが語りかけてくるように思えるとき、
僕は静かに箸を置く。

それは拒むためではなく、ただ距離を測るためだ。
誰かの「好き」に、僕が「嫌い」と言うことは、
世界を否定する行為ではない。
ただ、僕の地図が少し違うだけのことだ。

そして今日も、僕はお雑煮を見つめる。
椀の底に沈む静けさに、ほんの少し救われている。

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「初夢の断片、夜更けの更新」——眠りの境界で見たもの


   初夢というのは、いつの夢を指すのだろう。
元日と二日のあいだ──と昔は信じていたが、
今となっては眠りの深さのほうが
よほど当てになる気もする。

レム睡眠の境目に差しかかっていたのだろう。
さっき見た夢は、輪郭だけが浮いたままで、
誰の顔も結ばれなかった。
呼びかけても言葉は届かず、
場面だけが静かに入れ替わってゆく。
夢のくせに、どこか他人行儀だ。

深夜の部屋は、冷めた水のように静かだ。
その中で、ウェブログをひらき、
行き場のない気分をそっと落としてみる。
読まれるかどうかなど、いまはどうでもいい。
これは初夢の記録というより、
眠りの縁に引っかかった影のようなものだ。

夢は選べない。
けれど、言葉は選べる。
ただそれだけを頼りに、書きとめておく。
どこかに届くかどうかは──
夜明けの明るさよりも曖昧なまま。

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1/01/2012

元日の食卓、静かにスパイスを選ぶ——薬膳カレーと去年の記憶


   お世辞も、正月らしいきらびやかさもない。
ただ、カレーを喰う。
今年の元日は、その一言で済むような気分だった。

夕食は薬膳カレー。
湯気に混じるスパイスの香りが、
胃より先に気持ちをほどく。
効能の話をするほど健康志向でもないけれど、
「整う」という小さな実感だけは
求めていたのかもしれない。

去年の元日は、赤から鍋だった。
辛さの段階を選んでいるときの、
あの冬の空気に合う熱を、
誰かと分け合っていたような記憶がある。

一年経つと、同じ日付も少し違う。
口に入れるものも、
そこで思い出すことも、
少しずつ、でも確かに変わっている。

誰かと囲んだ温度も、
ひとりで味わう静けさも、
どちらも自分の元日の風景だ。

今年は薬膳カレー。
来年の食卓には、どんな匂いが立っているだろう。

そのときの自分がどんな味を欲しているのか——
それを静かに、楽しみにしておこうと思う。

元日、ヒトリウォーク


   本日、静岡の街をひとりで歩いた。

七間町。
かつて映画館の灯りが続き、
人の流れが途切れなかったあの通りも、
今ではひと息ついたように静まり返っている。

セノバができてから、
街の重心はけやき通りへ移った。
その事実にも、もう驚かなくなった。

歩く。
また歩く。

濡れた歩道。
風に押し流された紙くず。
どこかの店先から
逃げ出したような生ゴミの匂いまで混じっている。

──まあ、この街の片隅に紛れ込んだ自分も、
似たようなものかもしれない。

それでも、歩く。

ふと、居酒屋の看板が目に入った。
三ツ星マート。両替町の端にある、あの安い店だ。

懐にあまり余裕のない身には、
ああいう価格設定は助かる。

味はどうだろう。
正月が明けたら、一度くらい寄ってみるか。
ビールの一杯ぐらいは、なんとかなるだろう。

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予知よりも、思いやりを——2012年、静かにブログ再起動


   2012年。
何が起こるのかなんて、正直わからない。
それでも人は、つい知りたがってしまう。

先のことが見えたら、
不安も失敗も、少しは避けられる気がするからだ。

けれど、日々を振り返ってみると、
本当に手に負えないのは未来じゃない。
隣にいる誰かの気持ちだったりする。

察したつもりで、外したり。
気を遣ったつもりで、余計なことを言ってしまったり。
思いやりは、いつも後出しで、しかも正解がない。

だからたぶん、
予知能力よりも、そっちのほうがずっと難しい。

そんなことを考えながら、
誰が読むのかわからないブログを、また開いてみた。
再開と言うほど立派なものでもない。
ただ、静かに、電源を入れ直す感じだ。

誰かに求められているわけじゃない。
それでも言葉を書くのは、
「届くかもしれない」という可能性を、
まだ完全には手放していないからだと思う。

未来は見えない。
けれど、この都市の片隅で、
ほんの少しだけ、言葉に気を配りながら、
また書いていこうと思う。

予知よりも、思いやりを。

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