木曜日の視界・その二
恋というのは、不思議なものだ。
相手の少し意地悪な言い回しでさえ、
どこか愛らしく響いてしまう。
湿り気や生々しささえ、
柔らかな色を帯びて見えてしまうことがある。
──とはいえ、今夜の話を
美談に仕立てるのは、どう考えても無理がある。
あの地下の扉を引いたときに現れたのは、
どこかご近所の延長のような
雰囲気をまとった、年配の女性だった。
彼女は、木曜はカラオケバー、平日は昼キャバとして
営業しているのだと、そこそこ丁寧に教えてくれた。
その店が夜になると「パンチラCK」という、
ずいぶん直球な名の店に変わることは、
少し前から悪友を介して聞いていた。
同じ階段、同じドア。そのままの場所で、
昼はキャバクラ、夜にはまったく別の顔を見せる。
今夜もきっと、その変身は
予定どおりに行われるのだろう。
街の灯りが点りはじめるころ、
この町の片隅のその店は、
ささやかな聖域へと姿を変えていく。
たとえば、酒類の置き場所
ひとつ取っても、演出が徹底しているという。
ボトルやグラスは、女の子が立ち上がらなければ
手の届かない棚に置かれているのだ。
客が「バーボン」と注文すれば、
彼女は少し大げさな動きで立ち上がり、
棚に手を伸ばす。
そのとき──布一枚を隔てた視線の高さに、
偶然が、あらかじめ配置されている。
花代1,000円。
その計算された偶然には、
きちんと値段がついている。
……もっとも、僕はそういう仕草や、香りの濃淡に、
とりたてて興味を持っているわけではない。
むしろ気になるのは、
夜の街に立つ彼女たちの素顔や、
なぜここに立つことを選んだのか──
というような、人としての輪郭のほうだ。
ただ、その理屈っぽい関心も、
ここ数年で少しずつ薄れてきたように思う。
何かが違う──そんな気がして、
これ以上踏み込もうとする気持ちに、
自分でブレーキをかけるようになった。
違うのは、たぶん街じゃない。
僕のほうなのだ。
この夜のことは、
いつものようにブログには書かなかった。
いや、書けなかった。
変な検索ワードでやって来る人たちが、
あまりにも多くなっていた。
そういう人たちに限って、
昼の顔はきっと端正なのだろう。
──それでも、僕はこの街に住んでいる。
昼と夜のあいだにある、
温度の揺らぎと、わずかな湿り気を、
こうしてときどき味わってしまう。
まだまだ話は尽きないけれど、
今夜はこのあたりで、静かに区切りをつけておこう。
ラベル: 長い文章

<< ホーム