9/28/2011

大名古屋ビル「ヂ」ング

◆大名古屋ビルヂングの夜景─2011年9月18日撮影
 名駅の夜へ向かう途中で、
「大名古屋ビルヂング」の文字が目に入った。

あの「ヂ」の字。
濁点までちゃんと光っていて、
妙に存在感があった。

ネオンの赤が少し滲んで、
古いけれど、どこかみずみずしい。
マグロの赤身みたいな色だった。
  
そのとき、ビルヂングを一枚だけ撮った。
ピントも甘いし、光もぼやけてるけど、
あの夜の空気が少し写ってる気がする。
 
このビル、来年には壊されるらしい。
そう聞くと、
また手羽先が食べたくなったり、
ひつまぶしを思い出したりする。

夜道を歩きながら、
そんな小さな欲をひとつずつ思い出して、
ふと──あの「ヂ」の字を思い出す。

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9/22/2011

また犬を飼う


   一年七ヶ月ぶりに、犬を迎えた。
本当は北海道犬がよかった。
先代がそうだったし、あれにはあれの、
こちらなりの思い入れもある。
けれど、思いどおりにはいかず、今回は柴犬になった。

同じ県内のブリーダーが熱心で、言葉も穏やかだった。
犬舎で親犬を見せてもらったとき、
胸の奥に、静かに重いものが沈んだ。
それが犬のせいか、自分のせいかは、よく分からなかった。

先代が死んでからしばらく、夜の街ばかり歩いていた。
行くあてもなく、体もあまり元気ではなかった。
時間の空いた週末に、ふと、犬を飼ってもいいと思った。

ケージの中の仔犬は、ひたすら鳴いていた。
生まれて三ヶ月。兄弟と一緒にいた暮らしが、
昨日いきなり終わったのだから、無理もない。

先代は無愛想で、こちらが撫でに行っても顔を背けた。
今回は妙に愛想がいい。しっぽを振ってこちらを見る。
嬉しいのか、不安なのか、まだ見分けがつかない。

犬を飼うのは、これで四匹目になる。
けれど、こうして腹を決めて
迎えたのは、初めてかもしれない。

今日は初日だ。
トイレの失敗も、自分の手で片づけてやろうと思った。
今までならためらったかもしれないが、
やってみれば、思ったほど大したことではなかった。

夜の喧騒の中で、他人の声を聞き流しているよりも、
ずっといい気分だった。

犬はまだ鳴いている。
ケージの中で、不意に始まった
新しい生活に戸惑っているのだろう。
こちらも、似たようなものなのだろう。

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9/16/2011

木曜日の視界・その二


   恋というのは、不思議なものだ。
相手の少し意地悪な言い回しでさえ、
どこか愛らしく響いてしまう。
湿り気や生々しささえ、
柔らかな色を帯びて見えてしまうことがある。

──とはいえ、今夜の話を
美談に仕立てるのは、どう考えても無理がある。

あの地下の扉を引いたときに現れたのは、
どこかご近所の延長のような
雰囲気をまとった、年配の女性だった。

彼女は、木曜はカラオケバー、平日は昼キャバとして
営業しているのだと、そこそこ丁寧に教えてくれた。

その店が夜になると「パンチラCK」という、
ずいぶん直球な名の店に変わることは、
少し前から悪友を介して聞いていた。

同じ階段、同じドア。そのままの場所で、
昼はキャバクラ、夜にはまったく別の顔を見せる。

今夜もきっと、その変身は
予定どおりに行われるのだろう。
街の灯りが点りはじめるころ、
この町の片隅のその店は、
ささやかな聖域へと姿を変えていく。

たとえば、酒類の置き場所
ひとつ取っても、演出が徹底しているという。
ボトルやグラスは、女の子が立ち上がらなければ
手の届かない棚に置かれているのだ。

客が「バーボン」と注文すれば、
彼女は少し大げさな動きで立ち上がり、
棚に手を伸ばす。

そのとき──布一枚を隔てた視線の高さに、
偶然が、あらかじめ配置されている。

花代1,000円。
その計算された偶然には、
きちんと値段がついている。

……もっとも、僕はそういう仕草や、香りの濃淡に、
とりたてて興味を持っているわけではない。

むしろ気になるのは、
夜の街に立つ彼女たちの素顔や、
なぜここに立つことを選んだのか──
というような、人としての輪郭のほうだ。

ただ、その理屈っぽい関心も、
ここ数年で少しずつ薄れてきたように思う。

何かが違う──そんな気がして、
これ以上踏み込もうとする気持ちに、
自分でブレーキをかけるようになった。

違うのは、たぶん街じゃない。
僕のほうなのだ。

この夜のことは、
いつものようにブログには書かなかった。
いや、書けなかった。

変な検索ワードでやって来る人たちが、
あまりにも多くなっていた。

そういう人たちに限って、
昼の顔はきっと端正なのだろう。

──それでも、僕はこの街に住んでいる。
昼と夜のあいだにある、
温度の揺らぎと、わずかな湿り気を、
こうしてときどき味わってしまう。

まだまだ話は尽きないけれど、
今夜はこのあたりで、静かに区切りをつけておこう。

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9/15/2011

木曜日の視界・その一


   目の奥が、なんとなく霞んでいた。
「疲れ目かな」と軽く片づけていたけれど、
思い立って近所の眼科へ行ってみた。

視力検査の結果、右目の視力がほとんど
出ていないとわかったときは、さすがに驚いた。
それだけならまだしも、診察室では
「乱視ですね」と静かに告げられた。
その言葉の響きが、ほんの少しだけ胸の奥を揺らした。

その日は朝から「休肝日にしよう」と決めていた。
それなのに、昼下がりのサイゼリヤで、
気がつけばグラスワインを手にしていた。
理由は、いまでもよく思い出せない。

そのままの勢いで、前から看板が気になっていた
昼キャバという店に行ってみようと思い立った。

地下に降りる階段をゆっくり下りて、扉を開けると、
そこにいたのはやけに朗らかな年配の女性だった。

「今日はカラオケバーになってるのよ」

少し間を置いて、
「女の子はいないけどね」と笑った。
その笑いが、地下の空気に沈んでいった。

思わず「そうですか」とだけ返して、踵を返した。

静かな路地に出た。
空を見上げる気分でもなく、スマートフォンの
画面を覗き込み、いくつかの言葉を打ち込んだ。
けれど、それは投稿せずに、下書きのまま閉じた。

──なんとなく、つまらないな。そう思った。

都会でもないのに、都会のような
何もなさがある。

この街の繁華街のそばに住んでいると言うと、
たいてい羨ましがられるけれど、
昼にふらっと立ち寄れるような場所があるわけでもない。
そもそも、この街は、感傷を
受け止めてくれるような場所じゃないのだ。

 家までの道を、とぼとぼ歩いた。
いや、もう少し足早だったかもしれない。

──先週の木曜日は、そんなふうに過ぎていった。

そして今日。僕は職場にいる。
昼のワイドショーが、音もなくテレビの画面に流れている。

どうということもない、ありきたりな昼休み。
けれど、あの午後の気配だけが、
いまも目の奥に残っている。

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