鈍感さとやさしさのあいだで
携帯にカメラが付くようになってから、もうけっこう経つ。
いまでは撮った写真をそのまま上げても、誰も驚かない。
昔はもう少し、角度を探したり、光を気にしたりしていた。
でも最近は、そういうことに時間をかける人が減った気がする。
プリクラを見れば、それがよくわかる。
どう写るかより、誰と写るか。
結局、人は「誰かといる自分」を残したいのかもしれない。
僕が最後にプリクラを撮ったのは、
まだ街にガラケーが並んでいたころだ。
2002年の冬、当時の彼女と。
あの光の強い箱の中で、少し笑いすぎた顔をしている。
若さというより、居場所を探していたのだと思う。
それ以来、誰かと肩を寄せることもなくなった。
写真の中の僕は、いつもひとりで完結している。
それでも、欲が消えたわけじゃない。
ただ、少し扱いがうまくなっただけだ。
今は「ナチュラル」が一番らしい。
旅先で髪が乱れても、「それも思い出」と笑って済ませる。
その軽さを、悪いとは思わない。
ミクシィで「生きるってすばらしい」
と書かれたプリクラを見て、
いいなと思うこともある。
でもどこか、無理をしているようにも見える。
そう感じる僕のほうが、たぶんひねくれているんだろう。
外に出ることも、人と話すことも減った。
だから余計に、あの明るさがまぶしいのかもしれない。
無理のない笑顔を見ていると、
鈍感でいることも、
やさしさのひとつなのかもしれないと思う。
鈍感さとやさしさ。
そのあいだで、静かに息をしている人たちがいる。
僕も、できればその中に混ざっていたい。
ラベル: 長い文章

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