京都の雨と、静岡の夜
雨のフィスミー京都で、
ガラスに映る自分の顔をぼんやり見ていた。
照明の強さに、三人で来ていることだけが場違いだった。
あれは、男三人の京都だった。
楽しかったかと聞かれれば──少し困る。 一 微妙な連立
京都へ行ったのは、五月二十二日。
男三人の一泊二日だった。
きっかけは、毎月二千円ずつの積み立て。
くだらないといえばくだらない。
けれど、そうでもしないと誰も動かなかった。
男三人の旅というのは、どうにも間がもたない。
見た目は仲が良さそうでも、足並みは揃わない。
意見の違いを「味」と呼べるほど、大人でもなかった。
それでも奇妙なことに、旅は成立する。
むしろ、そういう不器用な関係のほうが、
案外続くのかもしれない。
静岡を出たのは朝九時すぎ。
新幹線はN700系だった。
行き先が京都というだけで、少し浮かれていた。
二条駅で降り、二条城を見て、
ロイホで昼を食べ、西本願寺へ。
天気は曇天。盆地の暑さが肌にまとわりつくようだった。
宿は四条大宮の小さなホテル。
かつて新撰組が屯所を構えた界隈だ。
けれど今年の京都は『龍馬伝』の真っ只中で、
どの土産屋にも龍馬の顔が並んでいた。
この街はいつだって、誰かの影を商売にしている。
部屋は三人一室。夜中に
「おまえのいびきがうるさい」と言われ、
笑い合ったあとに訪れた沈黙は、妙に冷たかった。
翌朝、鏡を見ると右まぶたに小さな青アザができていた。
寝返りのせいか、誰かの手が当たったのか。
聞くほどのことでもない気がして、そのままにした。
二 フィスミー京都の午後翌日は朝から雨だった。
ホテル近くの「なか卯にしよう」という
提案を素直に受け入れた――
つもりだったが、結局マクドになった。
なか卯も朝マックも未経験だった僕が、
ようやくその片方を体験する。
旅というのは、そういうささいなことまで妙に記憶に残る。
四条大宮駅からタクシーで清水寺へ。
目的は境内の地主神社、カジワラの縁結び祈願である。
雨の石段を登る。
周囲は若い女性ばかりで、男三人はどう見ても浮いていた。
誰も何も言わず、二つの石の間で
目を閉じて歩くカジワラを見守る。
傘のしずくが足もとに落ちていった。気づけば昼。
「祇園の豆腐屋に行きたい」とハラダが言い出した。
豆腐は苦手だが、他に行くあてもない。
湯豆腐を皮切りに、前菜からデザートまで豆腐尽くし。
食べながら、どこか遠い場所にいるような気分になった。
「豆腐はもうたくさんだ」と僕が言うと、
「神社仏閣ももうたくさん」とカジワラが返す。
そのひと言で、午後の予定はあっけなく消えた。
傘をさして京都駅方面へ歩く。
雨の街は、どこか冷めた映画のセットのように見えた。
三人の歩幅は揃わず、いつの間にか
誰も口を開かなくなっていた。
フィスミー京都。
地元では見かけないブランドが並ぶ、きらびやかなビル。
香水の匂いが立ちこめ、
鏡の前では若い女性たちが笑っている。
僕ら三人はその空気に馴染めず、通路の端を歩くしかなかった。
「こういう場所、落ち着かんな」と誰かが言う。
ふたりは早々にエスカレーターを探していたが、
僕だけが通りすがりのショップの照明に足を止めた。
ガラス越しに見たリズリサの店員が、ふと笑った。
地元ではあまり見かけない顔立ちだった。
その一瞬だけ、旅をしている実感が戻った。
視線を戻すと、もうふたりの姿はなかった。
どこへ行くともなく、またビルの中を回遊する。
本屋に入り、何も買わずに出た。
片隅のベンチで缶コーヒーを飲むふたりを見つけたとき、
雨の午後の長さを、少しだけ実感した。
三 笑えない夜のグラス、静岡へ戻る午後七時半、静岡は土砂降りだった。
駅でふたりと別れた。焼肉に誘われたが、
丁重に断った。理由は「食欲がない」とだけ。
それでも、家に帰る気にもなれなかった。
かといって、誰かと飲む気分でもない。
静岡駅前の灯りが、雨に滲んでいた。
足は自然に「時歩」という居酒屋へ向かっていた。
ここは、一人でいても干渉されない。
ほっとかれるからこそ、居心地がいい店だ。
日曜の夜八時。客は僕ひとり。
テレビでは『レッドカーペット』が流れていた。
店員が笑うたびに、グラスを持ち上げてそちらを見る。
僕もつられて笑ってみたが、何が面白いのか分からない。
孤独というのは、笑いの意味がわからなくなることだ。
一時間ほどで店を出た。
雨脚は弱まらない。僕のなかで、
酒よりも強い空虚がゆっくりと広がっていた。
四 夜の雨宿り
僕は、ひとりの女性と出会った。
関西出身、二十八歳。
笑うと少しあゆに似ていた。
ネイルの派手さと、目の疲れ。
どこか懐かしい匂いがした。
「髪の量多いね」
「よく言われるよ」
「目もきれいだね」
「よく言われるよ」
女性からの質問に、ひたすら「よく言われるよ」と返した。
それだけの会話だったのに、不思議と落ち着いた。
彼女の爪先は鋭かったが、触れ方は驚くほど繊細だった。
別れ際、冷蔵庫の飲み物を好きに持っていけと言われた。
その声音には、見返りも作為もなかった。
その気の抜けた親切だけが、胸に残った。
外に出てから気づく。左手首の時計がない。
スヌーピーのベビーG──二〇〇〇年製の限定品。
安物だけど、自分で買って、ずっと肌になじんでいた。
そこには、もう戻れない時間が刻まれていた。
迷った末、店に戻ることにした。
自動ドアをくぐろうとしたとき、
背の高いボーイと鉢合わせた。
彼は何も言わず、僕の手に腕時計をそっと置いた。
礼を言おうとしたが、彼はもう背を向けていた。
五 雨の夜と、懐かしい声
この夜は、雨はしつこく降り続いた。
十年前、そんな雨の夜があった。
ふらりと立ち寄ったこの店で、散々晴れていたのに、
出る頃には突然の雨に変わっていた。
当然、傘は持っていかなかった。
覚悟を決めて外へ出ようとしたとき、背後から声がした。
「お客さーん!」
年配の店員が、小さなビニール傘を差し出してくれた。
受け取ったときの体温だけが、今も妙に残っている。
男女のあいだに何があったかよりも、
そんなふとした優しさのほうが、後になって沁みる。
この時計を無言で返してくれた彼も、
きっと同じ気持ちだったのかもしれない。
そう思い込めば、あの背中に感じた気まずさ──
「まったく、時計なんて忘れやがって。手のかかる奴だな」
そんな独り言めいた優しさに、少しだけ救われる気がする。
その傘の下にいる僕自身も、
きっと誰かの風景の中にいたのだろう。
ラベル: 長い文章





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