5/30/2010

黒く焼けたホルモン──メラノーシス診断と、静かな反省


   五月の下旬、久しぶりに検査を受けた。
職場に休暇届を出して、馴染みの消化器外科へ向かう。
天気は晴れだった気がする。
そういう記憶ほど、すぐに曖昧になる。

病院の待合室というのは、なぜだか落ち着く。
テレビの音、紙をめくる音、名前を呼ぶ声──
そうした雑音が、むしろ心地いい。
静かすぎると、人はかえって不安になるのだろう。

トイレの前で年配の男性に声をかけられた。

「検査かい? 今日は出すのが仕事だな」

少し笑いそうになって、やめた。
冗談なのか、ただの観察なのか、判断がつかなかった。

控室に通されると、六畳ほどの狭い部屋に
古いテーブルがひとつ。
向かいに座っていたのは、アキヤマという名の老人だった。
八十近いらしい。二人で並んで、紙コップに下剤を注ぎ、
「くーっ」と冷酒のように喉へ流し込む。

「ここは居酒屋かね」

彼がそう言って笑い、僕も曖昧に笑った。

出ては戻り、また少し話す。その繰り返しのあいだに、
特別な話はなかった。ただ、会話に
湿り気のないところが印象に残った。

消化器内科という、人の最も無防備な部分に
近い場所で交わされた、淡々とした時間だった。

検査の結果、大腸に黒い斑点があると言われた。

「黒皮症です」

医師の声は柔らかく、深刻さはなかった。けれど、
モニターに映った自分の腸は、炭のように黒かった。
焼けたホルモンを思わせる色だった。

見るべきでない場所を見せられたような、
不思議な居心地の悪さがあった。

「アロエの入った健康茶など、飲まれていませんか?」

思い当たる節があった。自然派をうたう市販の茶を、
夕食後に飲んでいたのだ。
それが、原因かもしれないという。

治療の必要はなく、
半年から一年ほどで沈着は消えるらしい。
つまり、やめればいい。
ただし、本当にやめれば、の話である。

身体は正直だ。
ここ最近の下腹部の違和感も、あの微かな臭気も、
見えないところで何かが進んでいたサインだったのだろう。

「まずは、普通の食事をしてください」

医師は穏やかにそう言った。
その声には、どこか諦めにも似た響きがあった。

過剰な健康意識と、半端な知識。
人はその二つでしばしば遠回りをする。
僕自身がそうだった。

便秘に悩む人は多い。特に若い女性のあいだでは、
それが習慣のように定着している。
だが、薬や健康食品より先に、
一度だけでも専門医を訪ねた方がいい。
恥は、一瞬で済む。恥をかくなら、
病院の方がずっと安全だ。

外見を整えることには敏感でも、
内側を気にかける人は少ない。
臓器にも、ときどき目を向けてやるべきだと思う。
それは清潔感とも理屈とも違う、
ある種の身だしなみのようなものだ。

僕は今日から、あのお茶をやめる。かわりに、
ただの水を飲もう。できるだけ冷やして。
サントリーの天然水は口当たりがやわらかくて好きだ。
水道水でも構わないが、ときどきは贅沢をしたい。

人生に、魔法の杖はない。
それでも、自分の身体の声に耳を澄ませる
くらいの慎ましさは、持っていていい。
そう思って、今夜はこの日記を書いた。

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5/26/2010

京都の雨と、静岡の夜


   雨のフィスミー京都で、
ガラスに映る自分の顔をぼんやり見ていた。
照明の強さに、三人で来ていることだけが場違いだった。

あれは、男三人の京都だった。
楽しかったかと聞かれれば──少し困る。 一 微妙な連立
京都へ行ったのは、五月二十二日。
男三人の一泊二日だった。
きっかけは、毎月二千円ずつの積み立て。
くだらないといえばくだらない。
けれど、そうでもしないと誰も動かなかった。

男三人の旅というのは、どうにも間がもたない。
見た目は仲が良さそうでも、足並みは揃わない。
意見の違いを「味」と呼べるほど、大人でもなかった。
それでも奇妙なことに、旅は成立する。
むしろ、そういう不器用な関係のほうが、
案外続くのかもしれない。

静岡を出たのは朝九時すぎ。
新幹線はN700系だった。
行き先が京都というだけで、少し浮かれていた。
二条駅で降り、二条城を見て、
ロイホで昼を食べ、西本願寺へ。
天気は曇天。盆地の暑さが肌にまとわりつくようだった。

宿は四条大宮の小さなホテル。
かつて新撰組が屯所を構えた界隈だ。
けれど今年の京都は『龍馬伝』の真っ只中で、
どの土産屋にも龍馬の顔が並んでいた。
この街はいつだって、誰かの影を商売にしている。

部屋は三人一室。夜中に
「おまえのいびきがうるさい」と言われ、
笑い合ったあとに訪れた沈黙は、妙に冷たかった。

翌朝、鏡を見ると右まぶたに小さな青アザができていた。
寝返りのせいか、誰かの手が当たったのか。
聞くほどのことでもない気がして、そのままにした。

二 フィスミー京都の午後
翌日は朝から雨だった。
ホテル近くの「なか卯にしよう」という
提案を素直に受け入れた――
つもりだったが、結局マクドになった。
なか卯も朝マックも未経験だった僕が、
ようやくその片方を体験する。
旅というのは、そういうささいなことまで妙に記憶に残る。

四条大宮駅からタクシーで清水寺へ。
目的は境内の地主神社、カジワラの縁結び祈願である。

雨の石段を登る。
周囲は若い女性ばかりで、男三人はどう見ても浮いていた。
誰も何も言わず、二つの石の間で
目を閉じて歩くカジワラを見守る。
傘のしずくが足もとに落ちていった。
気づけば昼。
「祇園の豆腐屋に行きたい」とハラダが言い出した。
豆腐は苦手だが、他に行くあてもない。

湯豆腐を皮切りに、前菜からデザートまで豆腐尽くし。
食べながら、どこか遠い場所にいるような気分になった。
「豆腐はもうたくさんだ」と僕が言うと、
「神社仏閣ももうたくさん」とカジワラが返す。
そのひと言で、午後の予定はあっけなく消えた。

傘をさして京都駅方面へ歩く。
雨の街は、どこか冷めた映画のセットのように見えた。
三人の歩幅は揃わず、いつの間にか
誰も口を開かなくなっていた。

フィスミー京都。
地元では見かけないブランドが並ぶ、きらびやかなビル。
香水の匂いが立ちこめ、
鏡の前では若い女性たちが笑っている。
僕ら三人はその空気に馴染めず、通路の端を歩くしかなかった。

「こういう場所、落ち着かんな」と誰かが言う。

ふたりは早々にエスカレーターを探していたが、
僕だけが通りすがりのショップの照明に足を止めた。

ガラス越しに見たリズリサの店員が、ふと笑った。
地元ではあまり見かけない顔立ちだった。
その一瞬だけ、旅をしている実感が戻った。

視線を戻すと、もうふたりの姿はなかった。
どこへ行くともなく、またビルの中を回遊する。
本屋に入り、何も買わずに出た。
片隅のベンチで缶コーヒーを飲むふたりを見つけたとき、
雨の午後の長さを、少しだけ実感した。

三 笑えない夜のグラス、静岡へ戻る
午後七時半、静岡は土砂降りだった。
駅でふたりと別れた。焼肉に誘われたが、
丁重に断った。理由は「食欲がない」とだけ。

それでも、家に帰る気にもなれなかった。
かといって、誰かと飲む気分でもない。
静岡駅前の灯りが、雨に滲んでいた。
足は自然に「時歩」という居酒屋へ向かっていた。

ここは、一人でいても干渉されない。
ほっとかれるからこそ、居心地がいい店だ。

日曜の夜八時。客は僕ひとり。
テレビでは『レッドカーペット』が流れていた。
店員が笑うたびに、グラスを持ち上げてそちらを見る。
僕もつられて笑ってみたが、何が面白いのか分からない。

孤独というのは、笑いの意味がわからなくなることだ。

一時間ほどで店を出た。
雨脚は弱まらない。僕のなかで、
酒よりも強い空虚がゆっくりと広がっていた。

四 夜の雨宿り

僕は、ひとりの女性と出会った。
関西出身、二十八歳。
笑うと少しあゆに似ていた。
ネイルの派手さと、目の疲れ。
どこか懐かしい匂いがした。

「髪の量多いね」
「よく言われるよ」
「目もきれいだね」
「よく言われるよ」

女性からの質問に、ひたすら「よく言われるよ」と返した。
それだけの会話だったのに、不思議と落ち着いた。

彼女の爪先は鋭かったが、触れ方は驚くほど繊細だった。
別れ際、冷蔵庫の飲み物を好きに持っていけと言われた。
その声音には、見返りも作為もなかった。
その気の抜けた親切だけが、胸に残った。

外に出てから気づく。左手首の時計がない。
スヌーピーのベビーG──二〇〇〇年製の限定品。
安物だけど、自分で買って、ずっと肌になじんでいた。
そこには、もう戻れない時間が刻まれていた。

迷った末、店に戻ることにした。
自動ドアをくぐろうとしたとき、
背の高いボーイと鉢合わせた。
彼は何も言わず、僕の手に腕時計をそっと置いた。
礼を言おうとしたが、彼はもう背を向けていた。

五 雨の夜と、懐かしい声

この夜は、雨はしつこく降り続いた。
十年前、そんな雨の夜があった。
ふらりと立ち寄ったこの店で、散々晴れていたのに、
出る頃には突然の雨に変わっていた。
当然、傘は持っていかなかった。

覚悟を決めて外へ出ようとしたとき、背後から声がした。
「お客さーん!」
年配の店員が、小さなビニール傘を差し出してくれた。
受け取ったときの体温だけが、今も妙に残っている。

男女のあいだに何があったかよりも、
そんなふとした優しさのほうが、後になって沁みる。

この時計を無言で返してくれた彼も、
きっと同じ気持ちだったのかもしれない。

そう思い込めば、あの背中に感じた気まずさ──

「まったく、時計なんて忘れやがって。手のかかる奴だな」

そんな独り言めいた優しさに、少しだけ救われる気がする。

その傘の下にいる僕自身も、
きっと誰かの風景の中にいたのだろう。

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5/13/2010

男三人、低気圧の旅


   今月の末、京都へ行く。一泊二日。
2006年以来だから、ずいぶん間が空いた。

本当は「水入らずの旅」と書きたい。
けれど、そんな相手はいない。
寒暖差とか、ガソリンの値上がりとか――
いろいろ理由を並べても、玄関の温度はやっぱり低い。

――まあ、そんなことはどうでもいい。旅の話だ。
月に一度、互いの白髪を笑い合う、男三人が同行する。
カジワラと、ハラダと。

ネット嫌いのカジワラが、
新聞の折り込みチラシを広げた。

「酔い新幹線プラン、京都一泊二日。二万四千円だ」

なにが酔い新幹線だ。
ひとまず笑って流したが、酒の勢いで
つい検索してしまうあたり、どうにも性が出ている。

結局この日の定例会では決まらなかった。
こういうときは、主婦力の高い0930に訊くのが早い。

ポストペットのイエローページで知り合った、
どこか台所の匂いのする既婚の女性。
いまはYahoo!メッセンジャーで、たまに言葉を交わす。

「もっと安いとこ、ない?」

チャットの向こうの0930が、すぐにURLを送ってくれる。
そんな、ささやかな流通がある。

彼女が見つけてくれたのは、静岡発のツイン。
新幹線込みで一万六千三百円。
安いというのは、それだけで正義だ。

それにしても、こういう格安を
すぐ見つけてくれる0930は、やっぱりすごい。
「京都へ行く」――その一言だけで、少し背筋が伸びる。
寺が好きなわけでもないのに、
地名の魔法というやつだろう。

六月には家族で奈良へも行く予定だ。遷都1300年らしい。
節目という言葉に弱いのは、日々の退屈を
何かでなぞってみたくなるからだ。
それもまた、ありがたい。

けれど、男三人の京都には、また別のありがたさがある。
夜の木屋町あたりでくだらない話をして、
飲みすぎて、翌朝を悔やむ。
繰り返し、繰り返し。

なにが「酔い新幹線」だ。
乗った瞬間から、もう二日酔いである。
それでも、行き先があるというだけで、
少しだけ、生きている気がする。

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5/12/2010

角ハイボール缶


   いつからだったか、
自宅で飲むのは角のハイボール缶ばかりになってしまった。
サントリーの、あの黄色い缶だ。

コンビニで500mlを買ってきて、
そのまま冷蔵庫に放り込む。

少し前までは、もう少し気取っていた。
角瓶と炭酸水を冷やしておいて、
薄口のグラスに氷を入れ、
レモンを少し絞って──
そんな段取りも、今では面倒になった。

ぶきっちょな手元では、
うまく混ぜられなかったせいもある。

氷を敷いたグラスに注いで飲むようにと缶にはあるが、
僕はそのまま、缶の口に口をつけて、ごくり。

ぷっ、うぇーい──

などと小さく笑ってみる。
飲み口がよすぎるのが困りものだ。
気づけば、空き缶ばかりが机の上に増えていく。

いつだったか、二日酔いで
朝が立ち上がらなくなった日があって、ようやく気づく。
どうやらこの感じ、アルコール依存の
入り口らしい。笑いごとではない。

そんな折、風邪を引いた。
鼻声で始まって、やがて咳に変わった。

今日で禁酒四日目。
喉はむずむずと落ち着かず、
咳がひとたび始まると、しばらく止まらない。
肋骨が、妙にきしむ気がする。

月曜の朝、内科に行って薬をもらった。
クラビット、ダーゼン、ムコダイン──
まるで馴染みのない横文字たちに混じって、
咳止めのメジコンだけが、妙に心に引っかかった。

医師が言うには、
今年のゴールデンウィーク明けは
風邪が流行っているらしい。
そういえば、待合室の椅子もずいぶん混み合っていた。

酒を断っても、
思いのほか禁断症状というのは来なかった。

熱が出て、喉が痛くて、咳き込んで──
そういうものに負けているだけかもしれない。

それでも、今夜も冷蔵庫の中では、
銀色の缶が一本、静かに冷えている。

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5/11/2010

久しぶりの更新


   気がつけば、4月3日を最後に、
ここをまったく触っていなかった。

季節が変わっても、日々は淡々と続いていて、
ただ、更新する気になれなかっただけだ。

それでも、この三ヶ月のあいだに、
いくつかの出来事があった。

その中でも、ひとつだけ、
決定的なことがある。

2月21日。あの日、
我が家の「お屋形様」──
北海道犬のコロが、
十四年と十一ヶ月の生を終えた。 

別れの予兆も、それらしい前触れもなかった。
静かな顔をしたまま、音もなく、
ひとりで逝った。
気配だけが、すっと引いていくようだった。

その夜、指を少し震わせながら、
mixiに短い報告を書いた。

□-□-□-□-□-□-□-□-□-□

報告(2010年2月21日18時27分)

さきほど、我が家の象徴だった
北海道犬・コロが旅立ちました。

驚くほど静かで、
まるで姿を隠しただけのようでした。

負担をかけまいとしたのか、
スッと黙って、
芝居のラストのように逝きました。
去り際まで、たいした役者でした。

□-□-□-□-□-□-□-□-□-□

それからも日々は続いている。
けれど、コロのいた場所は
いまも空白のままだ。

そこは小さな祭壇になった。
お香の煙が細く立ち、
生前好きだったものを少しだけ置いている。

この銀塩写真は、1995年4月30日。
家に来たばかりの頃で、
まだ顔にあどけなさが残っている。

次は、2010年2月13日。
亡くなる一週間ほど前のものだ。
不思議なことに、最後の顔は
最初のそれに似ていた。
年老いたというより、
何かを脱ぎ捨てたあとのような顔だった。

こうして書いてみても、
喪失というものは、
そう簡単に風化してはいかないらしい。

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