ミラノワンではなかった僕
バナナの皮を手鍋に放り込み、
砂糖とスパイスで煮込む。
十五分もゆでてから、それを食べて
みたことがあるだろうか。──僕はある。
あまり大きな声では言えないが。
昔の雑誌に、そうすれば飛べると書いてあった。
嘘か真か、確かめようもない。
けれどあのとき、心のどこかがふっと浮き
上がったような気配だけは、いまも覚えている。
あの感覚を思い出すたびに思う。
本当に怖いのは、写真よりも
──文章なのかもしれない。
三月、雨の土曜日。
その日、僕はある映画を観に行った。
タイトルは、あまり口にしたくない。
有名すぎて、むしろ恥ずかしい。
読んだことがあるとは言いたくない類のものだ。
静岡の「七ぶらシネマ通り」──
古びた喫茶店と映画館がまだ残っている、
少し時間の止まった通り筋。
その一角に「ミラノ」という名の劇場があり、
1番館でその作品が上映されていた。
初めて訪れる劇場。
対人恐怖ぎみの僕は、チケット売り場で
「大人一枚」と言うのがやっとだった。
本当のところを言えば、作品名を
口にするのがどうにも気恥ずかしかった。
ほんの一拍の沈黙ののち、こう口を開いた。
「……ミラノいち」
受付のねーちゃんは、業務用の
笑顔のまま、はっきりと返した。
「ミラノワンですね!」
──その瞬間、僕の中で何かがずれた。
あ、通じていない。
いや、通じているのに、通じていない感じ。
「いち」じゃダメなのか?
こっちは数え方のつもりだったのに、
あちらはまるでブランド名のように発音する。
ミラノ『ワン』。
急に洒落っ気を出されたようで、
頬がじわりと熱くなった。
こういう時、僕はうまくやり過ごせない。
自意識の過剰をどうにか
したいと何度も思うけれど、
「わんだふる」なんて語感で自分を
なだめるくらいには、まだ子どもっぽい。
土砂降りの中、ぬかるむ
路地を歩いて劇場へ向かった。
上からも下からも水に挟まれ、
自分の立ち位置まで曖昧になっていく。
その作品を観た理由を言えば──
若い頃、何度も読み返した一冊が原作だったからだ。
思春期の終わり、危ういバランスで生きていた頃の記憶。
同時期に読んでいたもう一冊は、あまりに直接的で、
いま思い出しても背筋が寒くなるほどだ。
危ない組み合わせだった。
映画の中で登場するある薬品名が耳に残っている。
「素尿ルリレワムロブ」──あまりに作為的な名前。
昔の僕なら、真に受けて真似しかねなかったと思う。
実際、似たようなことをしていた。
町の薬局で手に入れた睡眠薬に、
どれだけの時間と小遣いをつぎ込んだだろう。
今なら「バカだな」で済むことが、当時は真剣だった。
若さというのは、ときに
信じられないくらい愚かで、まぶしい。
だから「もう消えてしまいたい」と呟く若者を見ると、
いまでも胸が痛む。
かつての自分を見ているようで。
ならばせめて、そばに話せる人間がいる限り、
もう少しこの世にとどまってみないか──
そう声をかけたくなる。
劇場を出ると、雨はまだ降っていた。
けれど少しだけ、視界は晴れていた。
「大人になると、眠るのもひと苦労だ」
──そんな言葉が頭をよぎる。
便利さばかりを追い求め、
陰口が可視化されるようになった今、
小学生でさえ眠れなくなる時代だという。
ネットのせい、という説もある。
けれど本当の敵は、やっぱり自分自身なのだ。
わかっていても、それを手放せない。
そんな人間らしさが、いまも僕の中でくすぶっている。
ラベル: 長い文章

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